明るい髪色にするのにも勇気が必要だという個人的な理由というタイトルで書きます。
50代にもなる私ですが、私は自分の生育環境から、「明るい髪色にする」ということが、未だにちょっと怖くて、勇気がいるんです。
その理由を書きます。
思春期の、おしゃれ=不良という教え。
思春期に象徴的な思い出があります。
聖子ちゃんカットとか流行って、学校でもみんながサイドにレイヤーを入れてブローして「流す」というをやっていた頃です。
まだやってない少数派の中に私はいました。
友達に「きっと似合うからやってみなよ。」とすすめられて、美容院へ行ってやってもらったら「何だかイイ感じ」になりました。
ところが、家に帰ると、祖母が私の髪型を見て、
「何だそのアタマ! 不良の髪型だ!」
と、怒られ、首根っこをつかまれるようにして「床屋」へ連れて行かれ、ブローした何もかもチョン切られ、どんぐりみたいな髪型になってしまいました。
祖母には「おしゃれ=色気づく=不良」という方程式があり、私はその犠牲者でした。
パーマや髪を染めるなんて、不良中の不良、けしからん! というのが祖母の考えですから、私は思春期にそんなことはもちろんしませんでした。
大人になってからも、何となくこの気分は引きずっていました。
反動で金髪に近いこともしたことがありましたが、「一人暮らしで親元から離れて」という条件でやっていました。
何か自分の属するコミュニティに対して、「おしゃれ」に遠慮が出てしまい、私にとっての「良い子の髪型」である「黒いストレート」にしなければならないとか思っちゃいます。
本当は「黒いストレート」なんて嫌いだし自分には、ゆるふわな明るい髪色の方が似合うと思ってはいましたが、「良い子」が発動してしまうことがたまにあります。
・会社の面接
・婚活のお見合い
・夫の親族に対して
など、「良い子」が発動すると、明るい髪色にしていることに、ドキドキするのです。
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おわりに
だから、「勇気」が必要だったのですが、「勇気」は最初だけです。
皆祖母と違って、私の髪色が明るいからと言って「不良」とは言いませんでした。
でも私はもしかすると、私の実家があったような、田舎の狭いコミュニティの中の「嫁」みたいな立場だったら、未だに「黒いストレートでなければならない」と思ってそうしていたかも知れません。
明るい髪色が自分にとって「普通」になるまで、まだもう少し時間がかかりそうですが、今のまま、やり続け、「普通で当たり前」になるのを楽しみにしています。