晴れやかブログ

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「父親の恋人役(妻役)」という役割が、子供の人生に与えた悪影響とは?(毒親育ちの断捨離セラピー)。

今日は「父親恋人役(役)」という役割が、子供の人生に与えた悪影響とは? というタイトルで書きます。

毒親育ちのアダルトチルドレンだったわたしが、インナーチャイルドワークや瞑想を通じて気づいたことのうちの1つに、自分が「父親の恋人役を演じていた」というものがありました

子供が父親の恋人役を演じてしまうと、その後の子供の人生に様々な悪影響を与えます。一体どんな悪影響があるでしょうか?

 

父親の恋人役(妻役)とは?。

まず、わたし自身の演じた「父親の恋人役」というのが一体どのようなものだったのかを書きます。

父は母や他のキョウダイにはしませんでしたが、小さい頃、わたしにはキスしたり頬ずりしたりということがありました(本当は不快でした)。

また、父は母よりもわたしと話をする方が楽しそうでしたし、外出するときも、母とではなくわたしと並んで歩いたりしました。

また、一緒にお風呂に入ることもありました。

でも一緒にお風呂に入るのは、小学4年生くらいから「嫌だ」と感じるようになりました。

父親の恋人役となった原因。

子供が親の恋人役になってしまうということの背景には、両親の仲があまり上手くいっていないということがあります。

父は母との関係でできた不満や淋しさを、娘であるわたしを使って埋めようとしていたのです。

また、母はわたしが小さい頃から仕事で家にいなかったり、下の子の世話などでわたしと一緒にいることがありませんでした。

わたし自身にも、「お母さんにかまってもらえない淋しさ」がありました。また何よりも小さな子供は親に見捨てられるのは生死に関わる問題で怖いわけです。

そこでわたしは、「この家で生き残っていくためには、お父さんと一緒にいなければならない。」と思ったのです。

また、「お母さんに相手をしてもらえないお父さんは可哀想」とか「家族のために大変な仕事をしているお父さんに優しくしてあげなければ可哀想」という気持ちもありました。

そして、わたしは「父の淋しさを埋める恋人役」にすっぽりハマることになりました。しばらくはこの状態で家族のバランスは保てていました。

でも、もともとは不自然なわけですから、さまざまな弊害が出てきました。

成長とともに出てきた弊害。

成長とともに出てきた弊害の代表は、先にも書いたように、小学4年生くらいから、「お父さんとお風呂に入るのが嫌だ」と感じたことです。

でも、嫌がっても「一緒にお風呂に入ろう」としつこく誘われる上、母までも「お父さん(が淋しがるから)と一緒にお風呂に入ってあげなさい。」と言われたりするので、絶望的な気持ちになって、嫌々入るということが続きました。

こうなると「嫌なことは我慢するのが普通」という概念を植え付けられてしまいます。

でも、本当は嫌なのだから、我慢し続けてもどこかで爆発します。それで時々私は「激怒」というものが噴出し、ひどい反抗的な態度をとるようにもなりました。

すると、「親に向かってその態度は何だ!」ということにもなり、逆に怒られるのです。

このようなことが繰り返されると、「怒ってはいけない。」と思い込むようになっていきます。

嫌がる娘と父親がお風呂に入るというのは、現在では、広義では性的虐待となることもあるようです。

そこまでいかなくても、境界線侵害であることは確かではないでしょうか?

境界線侵害というのは、平たく言えば、プライバシーの領域にズカズカと入ってくることです。「失礼なことをされる」と言い換えることもできます。

境界線を侵害されても「怒ってはいけない」と思い込んだまま大人になると、人間関係上、さまざまな弊害が出てきます。

嫌な失礼なことをされても怒れないわけですから、セクハラされやすくなったり、痴漢にあいやすくなったりします。

また、あまり好きでもない人から「好き」だと言われると断れずに、モヤモヤしたままズルズルとつきあってしまうというような弊害もあります。

「ここは自分自身の領域である」という境界線があやふやになって、大事なプライバシーを簡単に明け渡してしまうことが原因なのです。

境界線侵害への処方箋は「怒り」「激怒」。

このような境界線侵害への処方箋は「怒り」や「激怒」です。

「失礼な嫌なことをされても怒ってはいけない」と思い込んだまま成長すると、「怒る」ということに対して、そもそも罪悪感を感じます。

それでますます怒りを抑圧します。

でも、たまりにたまった怒りは無意識レベルにたまりにたまっています。

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そして、何だかどうでもいいところで不必要に激怒してますます落ち込んで自分を責めたりします。

でも、まずは「失礼なことや嫌なことをされたら怒って良い、怒るのが自然、怒るのが普通」などと認識することです。

例えば、自分の体をいきなり誰かに触られたりしたら、

「何すんのよ〜!」と、怒鳴りつけたりするのは当然ではないでしょうか?

「怒って良い」という場面はあるものです。

怒れない人というのは、「怒ったら相手に嫌われる、見捨てられる」という気持ちがあります。

子供時代は親に見捨てられたら生きていかれないので仕方なかったのです。

でも、目の前にいる失礼な奴に怒られたって別にどうでもいいじゃないですか? 怒るのは当然の権利だと思って「怒り」も大切にしたいものです。

また、過去から蓄積された、たまりにたまった「激怒」については、「怒りをぶつけるノート」がおすすめです。

わたしは、父と嫌々お風呂に入っていたことを思い出すのも嫌だったのですが、思い出すと「激怒」が噴出してきました。

「○カヤロー」「○ね!」とか、口汚くののしるように、書きなぐるとかなりすっきりします。

許さなくていい。

それで、この気持ちが、今、完全に癒されたのかというと、まだそうでもないのです。

「親なんだからいいじゃないか。」という言葉の元に、失礼なことを繰り返した両親のことを思うと、今でもまだ激怒です。

でも、悪いのは激怒しているわたしではなく、境界線侵害をした親の方です。親を許せない自分を許すことが大事です。

また、激怒する自分も許します。ただ、今は夫や他の無関係な人たちに無関係な激怒をぶつけないために、激怒を感じたら、ノートに父や母をののしります。

怒りは自分を守るためにある。

怒りは自分を守るために存在する大切な感情です。

他人に怒りをぶつけるのは良くありませんが、自分が何かに怒っているのなら、きちんと自分の気持ちに耳を傾ける必要があります。

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おわりに

今日は、「父親の恋人役(妻役)」という役割が、子供の人生に与えた悪影響とは? というタイトルで書きました。

父親の恋人役というところからやってきた、わたしの人生への悪影響は測り知れません。今日はその一部をご紹介しました。

この悪影響は、癒し切れていなくても、気づいたということが大きな前進です。

また、激怒は、癒そうとか消そうとするのではなく、「激怒を感じても罪悪感を持たない」とか「激怒している自分を肯定する」という方がスッキリします。

インナーチャイルドが激怒していたら、大人のわたしは、「あなたの怒りは正しい」のだと、肩を持ち、一緒に怒ってあげたり、代わりに怒ってあげたりするのも有益です。