今日は、私がカラー診断を受けて、自分に似合う色を知った感想について書きます。昨日にひきつづき、パーソナルカラー診断の体験談、6回目です。(前回の記事はコチラです。↓)
夫が妻の服に文句をつける意外な理由2つ。(パーソナルカラー診断の体験談5) - 晴れやかブログ
私の診断結果はイエローベースの「スプリング」でした。結果を知ったときは、「嬉しい」という気持ちと「やっぱりそうか」という気持ちの両方がありました。
似合う色というのは、単なるファッションの道具ではなく、自分の本質を表しているそうです。
ですから、自分に似合う色を知ったときは、「本当の自分自身に出会ったような喜び」と「ほっとした気持ち」があったのです。
診断を受ける前の診断予想
最初に「パーソナルカラー診断」というものを知ったとき、何とかお金をかけずに診断できる方法はないかと、ネットや本などのテストをやってみました。
でも、チンプンカンプン。目の色とか、鏡で見ても、光の加減で何とでもなってしまい、自己判断が難しいのです。
色々読んで、総合的に、自分は「オータム」だろうと予想していました。
ファンデーションを「オークル」を使っていて、肌がどちらかというと黄色っぽいと思っていたのと、単純にオータムの色が好きだったからというのもあります。
でも、結果は予想とはちがって「スプリング」。なかなか自分で予想するのって難しいです。
メンタルは「スプリング」かも
でも、1つだけ、「自分はスプリングかも知れない」と思ったことがありました。
そう思った根拠は、後藤先生の本『服の色で、損する人、飛躍する人』に書かれていた、パーソナルカラーが表すメンタルを読んだときです。
本のレビューはコチラです。↓
『服の色で、損する人、飛躍する人』というの衝撃の本と出会い、感想を書きます。 - 晴れやかブログ
「スプリング」の象徴的イメージは、春のお花畑。のどかでホッとする雰囲気だそうですが、それを読んで、「自分はスプリングっぽいな」と感じたのです。
現在はともかく、子供時代は特にこの傾向が強かったと思っています。
大人になり、さまざまな経験を重ね、成長した部分もありますが、手垢がついたり、防衛したり、鎧を着込んだりして、本来の自分を見失ってしまったりします。
でも、そんな経験をとっぱらって、子供時代を思い返してみると、本来の自分の本質が、意外とわかったりするものです。
「スプリングならば、ラクで楽しそうで良いな。」と思っていました。
自分の本質に立ち返った嬉しさ
ですから、「スプリング」だとわかったときは、「なんだ、それで良いんだ」と、自分の本音を肯定してもらえたような安堵感がありました。
この記事の最初に書いた「嬉しい」と「やっぱりな」は、上記のような理由からきています。
そして、「スプリング」だとわかった瞬間というのは、セルフイメージがガラっと変わった瞬間でもありました。 「こういう色を着る人として存在して良いのだ。」というセルフイメージです。
特に「スプリング」の色は、クリアでキレイな明るい色が多いです。
「こういう色が似合う人はうらやましいな。」と思っていたような色たちです。また、
「もう歳だから、こんな色は、オバサンは着れない、若い子の色、卒業しなくちゃ。」みたいな色でもありました。
ところが、そんな思い込みがあったのにもかかわらず、「似合う」となると、「着て大丈夫なんだ」という嬉しさ以上に、「何だか急に、自分の人生にスポットライトが当たり、自分が主人公にでもなったような気分」になりました。
服を着ることで「自分はこれで良い」と感じる
カラー診断のあと、実際にショッピングへ行きました。そして色々なものを試着するのが楽しかったです。
似合わない色の試着は、面倒なだけでした。それでオシャレ心みないなものを失っていたのです。
そして、家に帰って、買ったものを着ていると、とても楽しい気持ちになってきます。
おわりに
後藤先生のカラー診断のセッションのとき、先生はカラータイプの特徴を説明するのに、たまに有名人を例えに出すことがありました。
その中で「スプリング」の例えとして、出川哲朗さんの名前が出てきました。
実は、私の夫は出川さんの大ファンです。それで、家に帰ってから「出川もスプリングなんだよ。」と言ってみました。
「俺、出川大好きだよ。」と言っていました。
ここに私は、「夫が私の服に文句をつける」ことへの、もう一つの対策をみつけました。
それは、「楽しく服を着て、楽しく自分らしく生きていくことで、めぐりめぐって夫との関係を良くする」という方法です。
今まで「この服どう? おかしい?」と、少しオドオドしながら、夫の顔色をうかがうようなことをしていました。そんな私の態度が、かえって夫の気分を悪くしていたかも知れないと思います。
「自分はスプリングなんだ」ということを知ったということは、自分の本来の良さを知り、自信が持てたということでもあります。
夫の文句は、「楽しく生きてほしい」という、無意識のメッセージだったかも知れません。