晴れやかブログ

元ミニマリスト、パーソナルカラーオタク。「捨て活」も「買い活」もエネルギーの循環。断捨離は呼吸。

断捨離の後悔から抜け出す3つの方法。

断捨離して後悔してしまうことがあります。今回は、そんな後悔から抜け出す3つの方法について書きます。

後悔しないように捨てられれば良かったのかも知れませんが、そうはできなかったのです。でも、いつまでも後悔という嫌な気持ちを持っているのは嫌なものです。

どうしたらいいかと考え続けてきましたが、最近、ふと後悔から抜け出すことができましたので、ご紹介したいと思います。

 

過去に起こった出来事は変えられなくても、ものの見方を変えることはできる。

断捨離の後悔から抜け出す3つの方法というのは、どれも「過去に起こった出来事は変えられなくても、ものの見方を変えることはできる。」という考えから来ています。

以下の3つの方法は、私の「ものの見方が変わった」瞬間でした。

1. 自分に欠けているものは何もなかったということに気づく。

2. 捨てたメリットに気づく。

3. 捨てたものは、元彼(元彼女)みたいなもの。

「なんだ、そう考えれば良かったのか!」と、いう感じです。それでは詳しく書きますね。

1. 自分に欠けているものは何もなかったということに気づく。

まず、最初の方法は、「自分に欠けているものは何もなかったということに気づく」ということです。このことを、ぬいぐるみを捨てて後悔したことを例にお話しします。

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実をいうと、ぬいぐるみを捨てた後、最初はそんなに後悔してなかったのです。多少の哀愁はあったものの、ただそれだけのことでした。

ところが、急に後悔がはじまったのは、あるミニマリストさんのブログを読んだのがきっかけでした。その方は、不必要なものをたくさん処分しているのに、ぬいぐるみを持っていたのです。

それで、ぬいぐるみについては、「それを見るとほっとしたり、優しい気持ちになったりする、ということで役に立ってくれている。」というようなことを書いていたのです。

私は、これを読んだ瞬間、後悔が始まったのです。もっと正確に言えば、嫉妬したんです。「何だ! そんな役立て方があったか!」と。

このミニマリストさんは、「ほっとしたり、優しい気持ちになること」を切捨てていなかったのですが、私は「ほっとしたり、優しい気持ちになること」を切捨ててしまったことに嫉妬したんです。

それから何年も経って、ある心理学について書かれたものを読んだとき、嫉妬の構造というものを知りました。

嫉妬というのは、「自分が持っているものを生かせてないとき、同じものを持っていて生かせている人を見たときにわき起こる感情」なのだそうです。

例えば、同じ大学を出た友達が自分より出世したりすると嫉妬したりすることがあります。この場合、「同じ能力を持っているのに、友達は生かせているのに、自分は生かせてない。」というわけです。

私の場合は、ぬいぐるみに象徴されていた「ほっとしたり、優しい気持ちになる能力」でした。

でも、「ほっとしたり、優しい気持ちになること」は、ぬいぐるみでなくても別の形で表現できるはずです。今後の人生で、ほっとしたり、優しい気持ちになったりすれば良いだけなのです。

私にも「ほっとしたり、優しい気持ちになる能力」はあったのです。

自分に欠けているものは何もなかったということに気づいてから、やっと、ぬいぐるみを捨てた後悔の苦痛から抜け出すことができました。

それから、昨日のドミニック・ローホーさんの本のレビュー記事と連動するのですが、私は、ただ単に「ほっとしたり、優しい気持ちになること」を「不必要」とカテゴライズしていただけ。

これからは、「必要」にカテゴライズすればいいのだとも思いました。昨日の記事は以下です。↓

本当に必要なものとは? (ドミニック・ローホー『捨てる贅沢』レビュー4)。 - 晴れやかブログ

もし何か断捨離して後悔しているものがあったら、その気持ちをよく観察してじっくりと向き合ってみてください。

何か自分に欠けていると、勝手に思い込んでいる能力と連動していませんか?

「自分に欠けているものは何もないのだ」と気づくことで、過去に起こった出来事への「ものの見方」を、ポジティブなものに変換することができます。

その結果として、断捨離したことへの後悔から抜け出すことができるというわけです。

2. 捨てたメリットに気づく。

次に「捨てたメリットに気づく。」という方法です。これは、過去に捨ててしまった「仕事で自分が制作したもの(紙媒体などの書類)」を例にお話しします。

「ああ捨てなければ良かった。」と、何度も思っていたものです。

ところで、最近、私は、「仕事で自分が制作したもの(紙媒体などの書類)」の整理整頓に取り組んでいます。

スキャニングしてデータ化したり、ラベリングしたり、色々と手間がかかり、まだ終わっていません。そして、この作業が実に面倒でつまらないのです。

この作業をしながら、「そういえば、以前、アレも持っていたな。そうか、アレは捨ててしまって後悔しているんだ。でも、もしアレが残っていたら、アレについてもこの作業をしなくちゃならないわけだ。捨ててなくなっていて、その分ラクで本当に良かった。」と思っていることに気づいたのです。

あれほど「捨てなければ良かった。」と後悔していたのに、「捨ててあって良かった。」と、無意識のうちに思っていたのです。

捨ててあったことにもメリットがあったのです! 整理整頓するという、面倒で全然楽しくない作業をしなくて良いというメリットです。

「もしかして、これって、断捨離の目的の基本中の基本じゃないの?」

私は、「整理整頓するという、面倒で全然楽しくない作業」をすることで、現在の自分の時間を浪費しているのだはないかと思ったのです。

それで、後悔する必要はなく、それどころか、「もっと減らした方が良いのではないか?」と、別の書類に対しても、気持ちが捨てる方向に向かいました。

捨てたからこそのメリットがあったのです! もし、まだ手元にあったら、「作業の手間ひま」「どうしようかという悩み」があったはずです。

捨てて良かった面もあったのだと実感した瞬間、後悔の気持ちが急速にしぼんでいきました。

3. 捨てたものは、元彼(元彼女)みたいなもの。

最後に、「捨てたものは、元彼(元彼女)みたいなもの。」だと考えるという方法について書きます。

これは、上記のミニマリストさんとはまた別のミニマリストさんのブログの過去記事を読んでいて気づいたことです。このことを、私なりの言葉で書きたいと思います。

「捨てたものの後悔については、後悔しているものなんてたくさんある、でも、捨てたものは、元カレみたいなもので、後悔なんてあって当たり前で、振り返ったってしょうがないもの。」

だいたい、このような主旨のことが書かれていました。

これを読んだとき、私は、ちょっと自分が恥ずかしくなってしまいました。確かにその通りだと思いました。

元カレ、元カノとか、バツイチの私なら、元ダンナとか、それにまつわる後悔していることなんて、山のようにあります。

過去に断捨離したもので、後悔ゼロのものなんて、むしろ少ないのではないでしょうか?

モノの処分には、一種の心の痛みみたいなものは、必ず伴うモノだからです。後悔なんて、あって当たり前、後悔はあって良いのです。

要は、そのことをイチイチ振り返るか振り返らないかということだけです。今後失敗しないために考えるのもいいですが、失敗なんて今後もいくらでもするはずなんです。

「後悔なんて、あって当たり前、後悔はあって良い、イチイチ振り返らない。」この方法は、ありとあらゆるモノの断捨離への後悔に対応できる、とっても強力な武器です。

何だか急に、余分な元気まで出てきました。

応援に感謝してます♡

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おわりに

今回は、断捨離の後悔から抜け出す3つの方法について書きました。いかがでしたか?

過去に対するモノの見方を変えて、後悔から抜け出して元気を出してしまいましょう。