服の色は「好きな色」が必ずしも似合うとは限りません。「不足を埋めたい感情が「好き」と勘違いさせる」こともあるそうです。
服の断捨離をしていて、私にも少し思い当たるフシがありましたので、検証してみることにしました。
情報の出どころ
最初に、「不足を埋めたい感情が「好き」と勘違いさせる」という情報の出どころについて書きます。
この情報は、前回レビューを書いた『服の色で、損する人、飛躍する人』という本です。
著者の後藤妙子さんは、自分に似合う色がわかる前は、黒が好きだと思い込んでいたとのこと。
黒が似合うお母さんの影響もあり、黒い「鎧(よろい)」が最高だと、身を守っていたそうです。
これには、私にも思い当たるフシがあります。特に企業に勤めていた頃は、「黒で武装していたな」と思われるからです。
特定の本の情報を鵜呑みにしたり、正しいと決めつけることはできません。
ですが、私は個人的にとても「ピン」ときたので、この記事の中では、この本の内容が真実なのだという前提で記事を書くことにします。
私は何故カーキ色が好きなのか?
黒も好きでしたが、私は実は「カーキ色」が大好きなのです。
カーキ色が大好きだという話は、以前ブログにも書きました。
そして、カーキ色が好きな理由を「こういうパンツをはいて、自然の中などを闊歩すると「人生は自由だ」「私は自由なんだ」みたいに感じる」と書いています。
自由の象徴のように感じているわけです。
でも、一般的に、カーキ色は、特別に自由を象徴するような色ではないはず。何故私はこの色に「自由」を感じたのでしょうか?
母への無意識の反抗心
カーキ色は、女性が着る色として夫も嫌っていますが、実は母も嫌いな色でした。
平和主義者で、戦争体験のある母にとって、カーキ色は軍隊の色、戦争の色で、私がたまたま何かでカーキ色を身に付けるたびに
「お母さん、その色キライ。軍服の色みたい。」と言っていたのです。
ですから、私は、母の前では、次第にカーキ色を着るのをやめていったのです。実家に帰るときは、カーキ色ではない色を着るようにしていました。
私の母は、教育ママで、わりと子供を縛るようなところがありました。子供時代は「何だかウチは自由がないな」と感じたこともありました。
そんなこともあり、「母の目を盗んで好きなようにしている」というところに、カーキ色を「自由の象徴」として感じていたフシがあります。
いってみれば「母への反抗心」でカーキ色を好きだと思い込んでいたのかも知れません。
おわりに
色と向き合うと、色々と自分について知ることになります。
断捨離では「好き」とか「ときめき」で物を持ったり処分したりするのが良いのだと、基本的には私もそう思います。
でも、「好き」にも根拠があって、アテにならないこともあるのだと思いました。
また、心理学の世界では、自分の母親との関係が、パートナーとの関係に影響を与えるという定説があります。
今回、私の「好きな色」を「なぜ好きなのか」検証してみて、夫と母に「カーキ色が嫌い」だという、意外な共通点があったことに気づき、驚いています。
夫に服の色について文句を言われると悩んでいましたが、夫との関係以前に、母との関係を見直した方が良さそうです。
私にとって服の断捨離は、意外と、人間関係の断捨離なのかも知れません。