冬物の靴下を7足捨てました。捨てた靴下と、捨てた理由について書きます。
最近の私の捨て基準は「何となく嫌」だけになりつつあります。自分の感性に従うだけ。結局それが一番シンプルです。
それでは詳しく書きますね。
捨てた冬の靴下7足。
以下が捨てた冬の靴下7足です。↓
多少もったいないものもありますが、多くは、以下のアップ写真ように、毛玉がたくさんついています。↓
冬用の靴下は、昨冬10足購入しました。そのうちの2足はパイル地のもので、たちまち不快な毛玉ができ、早期に捨てたので、手持ちのものは8足でした。
8足のうち、1足はいざという外出のときのためにキレイなまま残っているので、これは残します。
冬用の靴下は7足で使い回していました。
冬用の靴下の使用ピークは12月から3月の4ヵ月間でした。3月末の暖かい日、急に暑苦しく感じて、春秋用の薄手の靴下を出してきました。
ところが、今年は、4月になって、まだ寒い日もあったので、4月中もかなり履いていました。
でも、5月になる頃、ついに履かなくなり、処分を決めました。
処分方法。
処分方法はウエス(雑巾)にして捨てます。靴下の雑巾は、手にはめて、部屋の隅やサッシの桟など、狭いところを掃除するのにとても便利です。
特にフローリングの乾拭きには良い素材だなあと思っています。
「何となく嫌」というシンプルな捨て基準。
靴下の捨て基準に関しては、過去にも何度も書いています。「毛玉か穴か」で悩んだこともありました。
ただ、もう次の冬にこれらの毛玉だらけの靴下を出してきて「気持ち良く履けるかどうか。」と考えたら、答えは明白でした。
大きな毛玉だけとり、しっかりと手でクリーニングして仕舞っておくという方法も考えましたが、素材的に毛玉が気にならない程度に取るのも手間がかかり、それも「嫌」と感じたのです。
昨年やった久しぶりの大がかりな断捨離で、積年の毛玉付きの靴下もたくさん捨てました。
その頃は「もったいない」が先だって、ゴチャゴチャと考えていました。
でも「何となく嫌」は感性、「もったいない」は頭で考えた理屈だと今は思えます。
感性というのは、五感のことです。自分の五感を大切にすると、最もシンプルに捨てられます。
毒親育ちで我慢からの卒業も試みています。モノに対する我慢の多くは「快不快」「好き嫌い」といった、自分の感性を無視したり軽視したりするために発生するようです。
来冬の買い物を楽しみに。
冬になる頃、スーパーの靴下コーナーには履き心地の良さそうな、しかもお手頃価格なフカフカの靴下はたくさん並びます。
このような靴下は、いつも欲しくなります。
昨冬の8足もそのような靴下で、2足で400〜500円程度、全部で2000円くらいです。
このくらいの贅沢なら払えそうですし、買い物を楽しみにしたいと思います。
応援に感謝してます♡
おわりに
今日は、冬の靴下7足を捨てた理由について書きました。
自分の持ち物に関して、少しずつ厳しく、贅沢になってきていると感じています。
これは、私にとって良い傾向です。
大好きなものだけに囲まれて気持ち良く生きるというシンプルでミニマルな生活に向かっている最中なのだと思うからです。