今日は、「いい人をやめることのすすめ。罪悪感から自由になるために手放すべき価値観。」というタイトルで書きます。
最近気づいたことです。罪悪感で苦しんでいるとき、その背後には「いい人でなければならない。」という価値観がありました。
いい人をやめると、罪悪感から解放されるというのは、どういうことでしょうか?
ありがちな例を挙げて書きたいと思います。
ありがちな罪悪感。
よくある罪悪感として、「何もしないで家でゴロゴロしていること」に罪悪感を感じるというのがあります。
「疲れたから、たまには有給をとって、家でのんびりしよう。」
と思って有給をとったのにも関わらず、「自分はこんなことして仕事をサボっていいのだろうか?」なんて思ったりする罪悪感です。
または、有給をとってショッピングにでも行こうなんて思ったのに、「サボっているのが見つかったらヤバイ。」なんて思って、結局、家で誰にも見つからないように息を潜めて過ごしたりするのも同じ罪悪感です。
夫が外で仕事を頑張っているのに、妻が「家でのんびりゴロゴロすること」に罪悪感を感じて、セカセカと家事をやったりすることもあります。
また逆に、妻が仕事したり家事をしたりしているのに、仕事が休みで家でゴロゴロしている夫が「くつろげない。」と感じたりするという罪悪感もあります。
また、早期退職をしてリタイア生活を楽しもうと思っているのに、何だか全然楽しめないこともあるでしょう。
罪悪感とは「自分は幸せになってはいけない。」というメッセージ。
罪悪感というのは、「自分は幸せになってはいけない。」という悪感情で、自分から発生しているメッセージです。
「自分は幸せになる資格はない。」とか、
「自分は楽しんではいけない。」という感じだったりもします。
罪悪感を抱いてしまう原因はいろいろあります。
「過去にこんな悪事をしてしまったから、自分は償わなければならない。」と思い込んでしまっているということもあります。
また、毒親育ちなど「自分は楽しむ資格はないのだ。」などど、子供の頃から思い込んでしまっていることもあります。
「これが原因だ。」というトラウマを持っている人もいるかも知れません。
でも、原因がわかったからといって、罪悪感が消えて無くなるわけでもないのです。
いい人をやめると罪悪感から解放される。
ところが、「いい人」をやめると罪悪感から解放されるのです。
先に挙げた仕事をしないで休むことへの罪悪感について言えば、
「善良な市民は勤勉に仕事をするべき」とか
「良き妻は、夫を支えるために家事に勤めなければならない」とか
「夫たるものは、経済的に家族を支えなければならない」とか
「まともな人は、定年まで勤めるべき」
などという価値観が背後に潜んでいます。
ありがちな価値観ではないでしょうか?
でも、この価値観て、真実ではありませんよね? 一体誰が決めたんでしょうか? なぜか自分自身で勝手に「これが普通」という基準を決めているだけなんです。
そして、「善良な市民」とか「良き妻」とか「良き夫」とか「まともな人」というのが、この記事で言う「いい人」なんですが、「いい人」である必要はありますか?
自分自身を「いい人」カテゴリーから外すと楽しめるようになります。
自分は善良な市民でもないし、その必要もない。
自分は良き妻でもないし、その必要もない。
などなど。
すると、「サボりたければ楽しくサボる。」ということが可能になります。
応援に感謝してます♡
おわりに
今日は「いい人をやめることのすすめ。罪悪感から自由になるために手放すべき価値観」ということについて書きました。
罪悪感の背景には、何かしら「いい人」カテゴリーに属する奇妙なキャラクターが潜んでいます。
無意識のうちにそれを演じています。
自分自身の中に、そんな奇妙な「いい人キャラ」を発見したら、すぐに手放してみてください。
手放すコツは「自分はいい人キャラである必要はない。」という、自分自身への言葉がけです。
「本当にいい人キャラである必要はあるの?」という、自分自身への質問でも良いです。
自分が「いい人キャラである必要はないのだ。」ということが心から納得できれば、罪悪感から解放され、たちまちラクになります。