晴れやかブログ

元ミニマリスト、パーソナルカラーオタク。「捨て活」も「買い活」もエネルギーの循環。断捨離は呼吸。

一生もののワードローブはない:一生もの幻想に囚われる原因2つ

一生もののワードローブはない、一生もの幻想に囚われる原因2つというタイトルで書きます。

「一生もの」幻想に縛られると、服の断捨離完了後、ワードローブの鮮度を保つことは難しくなります。

ワードローブの鮮度を保ちたいなら、いったん服の断捨離を完了しても、服の断捨離は何度もやる必要があります。

「一生もの幻想」は、服の断捨離を継続することの妨げになりますので、あえてこの記事を書こうと思いました。

私はかつて「一生ものの服」という幻想に囚われていました。

それと同じように、いったん満足できるワードローブが出来上がると、「これでもうずっと大丈夫」と思い込んで断捨離をやめていました。 

「これでもうずっと大丈夫」と思い込んでいたというよりは、思い込んで安心したかったんです。

このように私が「一生もの幻想」に囚われてしまった原因とは一体何でしょうか?

 

「一生もの幻想」に囚われる原因2つ。

「一生もの幻想」に囚われる原因は2つあります。

  1. 一生ものが良いというファッションの影響
  2. お金を失うことへの恐怖

それでは詳しく書きますね。

1. 一生ものが良いというファッションの影響。

20歳の頃、私はあるスタイリストさんの書いた本を読みました。

「一生ものの服が良い」というファッションの影響を受けたのです。

「革ジャン」や「Gジャン」「トレンチコート」などの例がありましたが、この本の影響もあって、「高価でも良いものを買って長く着るのが良いこと」と思い込んだのです。

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53歳までの自分を振り返って、実際にそのように実行することができませんでしたが、「高価でも良いものを長く着る=良いこと」という発想が私にはありました。

20代というファッションへの関心が最も高かった時期、この考えに洗礼を受けたことは、私の服選びに多大な影響を与えました。

この考え方は、ちょっと悪影響も与えてくれました。

「高くて良いもの=捨ててはいけない」という断捨離の妨げとなる考えは、この考え方が背後にあります。

でも、どれだけ高くて良いものでも、5年10年と経てば、服は古びていきます。

私は20歳くらいの当時、お金をはたいて、一生着るつもりでレザーのトレンチコートを買いました。

でも、80年代のまっただ中、今はもう誰も着ていないような肩パッドが張ったデザインで、たちまち流行遅れになってしまいました。

結局、品質が良かったが故に傷みもなく、タンスの肥やしとなり、

「流行なんて関係ない、私は我が道を行く」というのがカッコイイつもりでしたが、結局のところ、「一生ものの服が良い」ということ自体が流行にすぎなかったことに気づかされただけでした。

私が服の断捨離でとても影響を受けた、地曳いく子さんの『服を買うなら、捨てなさい』にも、「一生もの」はないと書かれています。

断捨離ストやミニマリスト、シンプルライフ志向の方で、この本の影響を受けた方は多いのではないかと思われますが私もです。

この本は私の「一生もの」という幻想を一気にぬぐい去ってくれました。

「一生ものはないと知る」ことは、一生もの幻想に囚われないためにはとても有効だと、今さら言うまでもないですね。

ところが、それでも私はまだ自分が「一生もの」に囚われるいることに気づきました。

それが原因の2つ目です。

2. お金を失うことへの恐怖。

この2つ目の原因である「お金を失うことへの恐怖」というのも、もしかすると私だけではなく、多くの方が持っている恐怖ではないかと思います。

節約の記事はとても人気がありますから。

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まあそれはともかく、私の「お金を失うことへの恐怖」が「一生もの幻想」を生み出してしまうことについて書きます。

いったん服の断捨離を終わらせても、一生ものの服はないですし、全ての服は劣化していきます。

例えどれだけ「今お気に入り」でも、いずれそのうち劣化します。

そんなことは100も承知なんです、最初から。

でも、この現実を見るのが怖いのは「劣化した服を捨てて買い替えるのにお金がかかるから」なんです。

「もうお金を使いたくない」

「お金が減るのが怖い」

このお金を失うことへの恐怖心はとても大きいです。

それで、劣化しても「まあ良いか」ということにするのです。

「ちょっと毛玉が出来たくらいでいちいち買い替えていたらお金がもったいない」

もちろんそれも一理あります。

でも、それとは少し違うのです。

本当は毛玉が出来たことが不快で嫌でしょうがないのに、お金を失うのか怖いから、「自分の不快」や「自分の嫌」に目をつぶって無視してしまうということです。

また、買って失敗だった服がすぐに捨てられないのも「お金を捨てているようでもったいないから」なんです。

お金がなくなるのが怖くて「一生ものの服はない」とアタマでは理解していても「一生ものの服があると思いたい」のです。

服の断捨離を完了させた時点で「もう一生大丈夫」なら、服にお金を一生使わなくて良いので、ただ「一生もののワードローブがある」と思い込みたいだけなんです。

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おわりに

今日は、服の断捨離を継続的に行っていくことの妨げになる原因の1つ「一生もの幻想」に囚われてしまう原因について書きました。

特に2つ目の「お金を失うことへの恐怖」は、私にとって本当にとてもやっかいで、未だに払拭されないのです。

ただ、「いくら服にお金を使っているのか把握する」ことで、この恐怖に対処できるのではないかと思っていますので、今後、取り組みたいと思っています。

また、幼少期に親がお金がないことばかり話しているのを聞いていたこと等が原因で、いつでも「お金が減るのが怖い」と思っている人もいます。

私はこのタイプでもあります。

「お金は使っても減らないよ」と、自分に言い聞かせる(=傷ついたインナーチャイルドを癒す)と安心するので、恐怖を感じたときは、この言葉を言ってみたりしています。