晴れやかブログ

元ミニマリスト、節約好き。

女性らしさを育て直す方法。自分の下着に向き合う(毒親育ちの断捨離セラピー)。

今日は、女性らしさを育て直す方法について書きます。

毒親育ちなどで、成長の段階で、十分に「女性らしさ」を育てられなかった人には役立つこともあるかも知れません。

「自分の下着に向き合う」という、私なりの方法ですが、書いてみたいと思います。

 

自分の下着に向き合って女性らしさを育て直す方法。

それで「自分軸目線で」もう一度自分の下着に向き合うというのが「自分の下着に向き合って女性らしさを育て直す方法」です。

いってみれば下着の断捨離。

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写真はイメージです。私のではありません。

ただ捨てるという事ではなく、「見直し」です。手持ちのものも案外OKだったりするかも知れませんし、新しく買ったほうが良いかも知れません。

大事なのは自分軸です。

以下、この考えに至った経緯を書きたいと思います。

「女性らしさ」が育たなかった理由。

まず、この記事は、昨日の記事の続きとなります。昨日の記事は以下の記事です。↓

ネガティブな感情を認めた結果、母への恨みを手放し、感謝の気持ちが湧いた話。 - 晴れやかブログ

昨日の記事の続きではありますが、「女性らしさ」が育たなかった理由という観点で、要点をお伝えします。

第二次性徴を迎えた思春期に、私は、十分に必要な下着が与えられませんでした。

どういうことかと言いますと、昨日の記事に書いたように、ブラジャーをなかなか買ってもらえなくて恥ずかしい思いをしたということが1つあります。

また、さらに、ショーツについても問題がありました。友達が身につけていたような可愛いショーツではなく、ヘソまで隠れるようなブカブカのグ◯ゼのショーツを祖母の影響ではかされていました。

祖母はこれをズロースと呼んでいました。

このズロースの何が問題だったかと言うと、中学の体育の制服だったブルマーよりも大きくて、はみ出してしまうのです。

私は、ブラジャーもなかった上、このどデカいズロースがはみ出した状態で、クラスメイトに笑われたりして恥をかかされていました。

祖母にとって「ブラジャー」も「普通の可愛いショーツ」も、「いやらしいもの」だったのです。

13歳で止まってしまった女性性(女性らしさ)の成長。

そういうわけで、私の女性性は13歳で止まってしまっていました。

女性として成長することは戸惑いばかりで恥ずかしい上、好きな下着を自分で選んで身につけるということに罪悪感を感じていたのです。

自分が女性であるということを喜べないまま大人になり、歳を重ねてしまいました。

こうなると、どんな弊害があるのかと言うと、下着でさえも「他人軸」になってしまうのです。

「罪悪感を感じないように、祖母がOKを出してくれそうなダサい下着」か、

「人(夫とか)に気に入ってもらえるような他人目線の下着」というように、両極端に揺れます。

私は昨年、以下のような記事を書きました。↓

下着の断捨離「ブラとショーツ編」。「可愛いと化繊」「綿だとおばさん系」の二極化に悩む。

これは、上記のような両極端で揺れていた状態だったなあと、今では感じるのです。

大事なのは「自分が楽しめる」ということ。

本当に大事なのは、自分軸「自分が楽しめる」かどうかということです。自分自身で身につけて快適なのかとか、自分が素敵だと感じるかどうかです。

自分で自分の「女性である」という体自体を、自分のものとして楽しむことが大事なんです。

そうすることで、次第に女性性(女性らしさ、女性であること)が育ってくるのです。

「女性であること」と「女子力」の違い。

ところで、「女性であること」を楽しみ育てるというのは、「女子力」とは違います。

「女子力」というのは、他人軸です。誰か(特に男性)にモテるための要素としての、料理上手だとか、モテテクみたいなものですね。

何も、料理上手が良くないという事ではないです。

料理も、自分が好きなものを作って楽しめるならいいですが、本当は料理が嫌いなのに、彼に気に入ってもらいたいから上手になろうとしても苦しいだけです。

「女性であること」を楽しみ育てるというのは、一人でも、自分自身だけでもできる事です。

下着に関して言えば、本当に自分が快適な、恥ずかしくもない下着とか、または、本当はちょっと着てみたいと思っていた、可愛い下着を買って、自分一人で部屋で楽しんだり、そっと身につけて過ごしたりするのも、興味があれば良いことです。

自分の体は誰か他人のものではなく、自分が楽しむために使うものです。

ここをハッキリさせないと、自分の存在に余分な恥や罪悪感を感じるようになったり、他人に失礼なことを言われたりされたりしても怒れないという、正常な境界線を失うことにもつながります。

下着だけではなく、全て自分軸で。

下着はそれだから、他の誰でもない「自分自身が」気に入ったものを身につける必要があります。

それでこそ女性らしさを育て直すことができるのです。

女性らしさが育つということは、自分が女性だということを楽しめたり喜べたり肯定できるということです。

下着だけでなく、洋服や持ち物、メイク、おしゃれなどなど、全てです。

自分の下着に向き合う。

それで「自分軸目線で」もう一度自分の下着に向き合うというのが。手持ちのものも「意外とOK」だったりもします。

また、普段使いのものはもっとシンプルでも良いし、でもたまには思いっきり女性的なものを身につけてみるのも良いかなあなんて思っています。

でも、もう、どう転んだとしても、親や祖母から受け継いでしまった罪悪感からも離れ、かといって夫に気に入られようでもなく、「私が好きか嫌いか」という自分軸だけです。

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おわりに

今日は、女性らしさを育て直す方法。自分の下着に向き合う。という記事を書きました。

下着の断捨離の記事とも言えますが、最近、もう本当に、断捨離をして幸せになれるかどうかは「自分軸」かどうかだけにかかっていると痛感しています。

そして、断捨離だけでなく、人生に関わること全て、「自分がどう感じるか」ということだけが幸せでいるコツなのだと思っているところです。

心の断捨離というカテゴリーで書いていますが、結局、モノでも何でも断捨離は全て「心の断捨離」なんですね。