晴れやかブログ

元ミニマリスト、パーソナルカラーオタク。「捨て活」も「買い活」もエネルギーの循環。断捨離は呼吸。

家事を楽にする思考。高すぎる基準を手放す。

先日『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』という本を読み、この本からインスピレーションを受けて、記事を書いています。

今日はそれで「家事を楽にする思考。高すぎる基準を手放す。」というタイトルで書きたいと思います。

 

かつてパーフェクトな家事は女中の仕事だった。

『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』によると、明治時代の高等女学校の「家事の教科書」に、衣食住にわたる、こと細かな家事のやり方が書かれていたそうです。

例えば、毎日の食事の献立に関しては、献立は常に変化させて、同じものを続けて出さないようにする…というのなどです。

現代風に、平たく例をあげて言えば、カレーを作ったから2日続けて食べるなんてダメということですね。

この時代の高等女学校に行くような女性は、お金持ちの家の主婦になるような身分の人たちで、事細かな家事は、自分でやるというよりも、女中へ「指示してやらせる」ものだったようです。

問題は、この頃の厳しい家事のオキテが、いまだに「良し」とされて、一般家庭にまで普及してしまっている、ということなんです。

なぜか「手を抜いてしまった」という罪悪感を感じる。

例えば、2日続けてカレーにした時とか、ご飯を2日分炊いてしまうこととか、「手を抜いてゴメンね」なんて、小さな罪悪感を感じてしまうことがあります。

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罪悪感まで行かなくても「ラクすることができた」などと思います。これは「本当はやらなければイケナイ」と思い込んでいる、理想の基準があるということです。

その理想の基準が、一体どこからくるのかというと、先にあげた家事の教科書や、かつての日本の伝統の中にあります。

高すぎる理想の家事に苦しむ私たち。

でも、理想の家事の基準って、高すぎると思うのです。

考えてもみれば「毎日変化に飛んだメニューを3食分考える」なんて、専門の女中(というより、専門家)にしかできなくても当たり前だと思います。

それなのに、そうできない自分を「主婦としてまだまだ」なんて思ってしまいます。

洗濯物をきちんとたたんでイチイチしまうということも、どうせすぐに広げて着ることになるのに、「本当に必要な作業なのかしら? 」と疑問に思いつつ、たたまなければ「忙しくて手を抜いてしまった」と思ったり、「私はズボラだから」と卑下したり開き直ったり…。

こんな風に、「たくさんの女中を使ってやらなければできなほどの高い基準の家事」という理想に引っ張られ、私たち主婦は一人苦しんでいます。

私たちには「女中」はおらず、一人だというのに。

『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』ブックレビュー

『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』という本は、先日たまたま本屋さんで見つけて買いました。2017年11月に初版が発行され、すでに何度か増刷されているようです。

この本はアマゾンでも買えます→「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)

それがたまたま昨年、本屋に立ち寄ったら、表紙などもリニューアルされて、さらに発行されていました。密かなブームになっていたのでしょうか?

ブームとまではいかなくても、「家事がネック」で「仕事に集中できない」、「家族団欒ができない」、「レジャーの時間がない」、「趣味の時間が持てない」、「一人の時間ができない」、「のんびりする時間がない」など、家事以外の主婦の活動がとても制限されてしまっていることに苦痛を感じている人は、思っている以上に多いのではないかと感じた次第です。

私は、上記の本からヒントを得て、この記事以外にも、「丁寧な暮らし」という強迫観念を手放せばラクになると、シンプルで美しい部屋の写真をお手本にすると家事が増えるという記事を書きました。以下がそれらの記事です。↓

「丁寧な暮らし」という強迫観念を手放せばラクになる。 - 晴れやかブログ

シンプルでおしゃれな部屋の写真をお手本にすると家事が増える。 - 晴れやかブログ

家事を減らすことは、主婦の幸せな生活に直接役に立つと思ったからです。

これらの記事は私なりの「あるあるだなあ」と思う視点で書きましたが、『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』には、主婦がラクな気持ちで生きられるヒントが他にもたくさんあるかと思いますので、興味のある方は、読んでみてください。

ただちょっと難点を言えば「海外では〇〇、日本は××」というような観点が、個人的には気になりました。海外とくらべる必要はないのではないかと思います。

でも、日本は世界にも稀に見る、人口減少国なのだと何かで読みました。家事をするより夫婦の時間かも…!? 「日本を滅ぼす」というタイトルは一見、大げさにも思えますが、ある意味真実なのかも知れません。

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おわりに

今は、女中のかわりに洗濯機があったり、かつてかまどで炊いていたご飯は便利な電子ジャーとなったり…文明の利器で、昔とくらべたら、家事はずっとラクになりました。

それだから、何とか一人の主婦でもやっていかれるのかも知れません。

それでも「ちゃんとやらなければ」という「高すぎるちゃんと基準」が、多くの人の意識に残っている限り、「時間があいたからのんびりしよう」ではなく「時間があいたからたまには手間のかかる料理をしよう」などと思い、自ら家事を増やしてしまっているのです。

「高すぎるちゃんと基準」を手放し、時間があいたらのんびりしたり、好きなことをしましょう。