今日は、「汚部屋の断捨離は、ネガティブなエネルギーを利用してイッキに」というタイトルで書きます。
これは汚部屋に暮らしていたわたしの最初の断捨離の体験談でもあります。15年以上も前の突然の出来事。とても個人的な事情ですが、意外と参考になるかも知れませんよ。
なかなか汚部屋から脱出できないワケ
汚部屋から脱出できないのには、それなりの理由があります。その理由というのは「そもそも汚部屋が好きだから」です。
実はわたしはそうだったのです。「ものがたくさんあると安心する」「ゴチャゴチャした空間の方が温かみがある」と、感じていました。
こういう状態なら、片付ける必要性を感じません。ですから、長年、好き好んで汚部屋を継続できたのです。
人生をゆるがすネガティブな大事件
ところが、そんなわたしの人生をゆるがすような大事件が起こったのです。その大事件というのは、「元夫の外泊の激増」でした。たまに帰ってもまともな会話もできませんでした。
これは、現在のではなく、最初の結婚の話です。この状況を何とかしなければと思い、わたしは、悩み、苦しむ中、さまざまなことを試しました。
その中で、ある風水の本を読んだのです。風水なんてバカバカしい、インチキ、マユツバだと思って興味もなかったのですが、こんな状況だったからこそ読んだのです。
その本が誰が書いたのかは覚えていません。でも、今でも心に残っている2つのフレーズがあります。
1つは「どんな風水も部屋が汚いと何の効果もない」もう1つは「旦那さんの居場所がないと、家に帰って来なくなる」というものでした。
玄関に花を飾ると良いと聞いて買ってきた生花が一晩で枯れてしまうような、摩訶不思議な体験もしたところでした。
そして、ダイニングテーブルの元夫の椅子には、わたしの本や雑誌などが積まれ、まさに「旦那さんの居場所」を奪っていたのです。
これがわたしの断捨離との出会いです。当時まだ「断捨離」という言葉はそれほど流行っていなかったので、「断捨離」だとは思っていませんでした。
ですが、後から振り返って、「あれは断捨離だったなあ」と思います。
断捨離が助けてくれた
ちょうどその時、仕事をやめていたこともあり、朝起きると、とにかく自分の不用品の処分に明け暮れていました。
汚部屋で一人で膝を抱えて悶々としているよりも、その方が精神的にもポジティブになれたのです。
捨てるものは山ほどありました。夢中になって片付けていきました。数ヶ月かかったのではないかと思います。
たまに着替えにくる程度に帰ってきた元夫は、帰ってくるたびに部屋の状況が変わって行くのに驚いていました。
そして、ついに、毎日普通に帰ってくるようになり、まともな話し合いができるようになりました。
不用品の処分をしたことで、わたし自身も知らず知らずのうちに、自律神経が整ったのだと思います。気持ちは落ち着いていきました。
それで、もう、お互い別の道を歩いた方が良いのだとわかったのです。二人できちんと穏やかに話し合って、前向きな気持ちで別れました。
そして、一人で引っ越し、生活そのものを、すっぱり断捨離したことで、本当に気持ちもとてもスッキリしたのです。
まとめ
断捨離とか、ミニマリストとか流行る中「汚部屋」が悪いことだと決めつけられているところがあります。「汚部屋」は必ずしも悪いものではありません。
好き好んで楽しく「汚部屋」に住んでいた頃は、断捨離しようなんて考えてもいませんでした。美味しいものを食べながらテレビでも見て、ゴロゴロしていた方がラクだし幸せです。
汚部屋の断捨離が進まないのは、もしかしたら、する必要のない断捨離なのかも知れません。または、ゆっくり片付ければ良いということかも。機が熟してないとも言えます。
わたしの場合「汚部屋が幸せ」という価値観を、大きく揺るがすような、大事件が起こったから、イッキに片付けられたというわけです。
ですから、汚部屋の断捨離は、無理をせずに何かが起こるまで、断捨離などは忘れて放置して置くのも1つの方法かも知れません。
自分にとっての大事件は、断捨離の背中を押してくれます。
例えば「失恋」「身近な誰かの死」とか…何か自分にとっての大事件があったら、それを取り除くつもりで断捨離すると、イッキに片付いたりするのではないかと思います。
でも、断捨離や片付けって、「イッキにやるのが向く人」と「コツコツやるのが向く人」がいるみたいです。
わたしはどちらかというと「イッキに」やるタイプで、「断捨離が終わった」と思うと、急に断捨離に興味がなくなったりします。
「イッキにやる派」の人は、ネガティブもエネルギーに変えてガツガツやってしまうと良いと思います。