下着の断捨離でレギンスとペチコートを捨てました。捨てた理由は「なんとなく嫌」なだけですが、何が嫌なのか理由を書いてみます。
「嫌」というのは、ほぼ5感から発生しています。つまり、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚です。
それでは詳しく書きますね。
5感を頼りに断捨離するメリット。
5感を頼りに「好き嫌い」で断捨離するのは「感性が磨かれる」というメリットがありますのでおすすめです。
下着に関係のある5感は主に「触覚」と「視覚」です。
まあ口に入れるものではないので、「味覚」はないと思いますが、「聴覚」(カサカサ音がして嫌とか)、「嗅覚」(カビ臭いとか)はあるかも知れません。
また、5感を信頼するというのは、他でもない自分自身の感覚です。
つい他人軸で生きて、いつも我慢してしまうタイプの人(私)には、自分軸を取り戻すための良いエクササイズにもなります。
捨てた下着2点。
以下が今回捨てた下着2点です。↓
左がレギンス、右がペチコートです。レギンスは昨年秋に買いましたが、同時期に買った別のものばかり履いて、出番がなくなりました。
ペチコートは、これからの季節、活躍するはずだったのですが、履くことを考えると憂鬱になりました。
これらの下着は、触覚と視覚という2つの嫌な理由がありますので、以下に書きます。
「触覚」の嫌。
まず、「触覚」の嫌を書いてみます。「触覚」の嫌は、要するに「着心地」です。
まずレギンスです。伸縮性がイマイチで、履くと硬くて膝が伸びにくい、キツイと感じていました。
また、暑いというのもあります。リブ編みなので、それなりに生地がしっかりしていて、ムレました。
10分丈でしたが、中途半端に足首が出て、出た部分は妙に寒かったです。
それからペチコートです。メイン素材は綿で、その部分は良かったのですが、裾のレースが多少チクチクして気になりました。
「視覚」の嫌。
次は、「視覚」の嫌についてです。要するに「見た目」の問題ですね。
レギンスに関しては、「視覚」の嫌は殆どありません。店頭で見て、「素敵!」と思って買ったのです。
ただ、10分丈の、中途半端に足首が出た部分、私は割と「サリーちゃん」みたいなむくみやすい脚なので、「太って見えて嫌だなあ」と思いました。
ペチコートは、実はほぼ「視覚」の嫌が原因で捨てることにしました。下着だし、見えないから「まあ良いか」と思って、昨年の夏はスカートの下に履いていました。
でも、何となくデザインが気に入らないのです。通販で買ったのでイメージが湧きにくかったというのも失敗の原因の1つでした。
スカートという「洋」な服の下に履くのに「和」な感じの雰囲気があって、ミスマッチな感じがします。
それと「オバさんぽい」「ダサい」と感じたのです。
こんなことを言うのはちょっと罪悪感を感じてしまうのですが、そんな風に感じてしまったのだからどうしようもないです。
これが私自身なのだと認めるしかありません。
その見た目が気になって、夫に「どう?」なんて見せたところ「俺、正直そういうの嫌い」と言われたのも嫌な思い出です。
この思い出は2つの意味で嫌です。
まず1つは、「夫が嫌いだと言ったことそのもの」です。
でも、本当に嫌なのは、「どう?」なんて聞いてしまった自分自身の「自分軸のなさ」です。昨年の私は「夫軸」で生きていました。
それを思い出すのが嫌なわけです。
夫か気に入ろうがどうしようが、自分さえ気に入っていれば良いわけです。だから、「どう?」と聞くのが必ずしも悪いわけではありません。
「どう? 素敵でしょ!?」ということもあるからです。
でも、この場合は、「悪くないよ。」と言ってほしくて聞いたのです。でも、結果として、夫からの批判を誘発してしまいました。
その上、もし夫が「良いんじゃないの?」と言ったとしても、すでに私自身が気に入ってなかったので、自分の感性を信頼すれば話は終わっていたのです。
応援に感謝してます♡
おわりに
今日は、下着の断捨離でレギンスとペチコートを捨てた2つの嫌な理由について書きました。
着心地と見た目の2つ嫌について書きました。
「視覚」と「聴覚」という感性に基づいた「嫌」でした。敢えて背後にある感じたものを長々と書いてみましたが、「嫌だから捨てる」で十分なんです。
そして、「嫌だから捨てる」って、一番頼りになる断捨離の理由だと今は思っています。