晴れやかブログ

元ミニマリスト、パーソナルカラーオタク。「捨て活」も「買い活」もエネルギーの循環。断捨離は呼吸。

服が心に与える影響:服がもたらしてくれるもの。

に与える影響:服がもたらしてくれるもの」という、ちょっと抽象的なタイトルで書きます。

服が心に与えてくれる「自分にとっての嬉しい影響」は、究極的には、「恥ずかしさを解消してくれる」ということかな? と、最近思っています。

そんなことについて書きますね。

 

服は「恥ずかしさ」を解消してくれる。

「着ていく服がない!」とか、「着るものがない!」というのが、服に関するまず大元かと思います。

わかりやすい例を挙げれば、例えば、誰かの結婚式の披露宴に呼ばれたとして、ちょっと良い服を着なければ…となったとします。

そういう時にその「良い服」がないと、「恥ずかしい」ということになります。

また、どこか会社に就職したとして、通勤用のスーツがなければまた「恥ずかしい」となります。

このようなシーンで「恥ずかしい」と感じない人もいるかも知れません。

「困る」とか「不都合」程度の人や、「服なんて別にどうでもいい」という人もいるかも知れません。

そういう人にとっては「着るものがなくて恥ずかしい」という気持ちは分からないかも知れません。あまり服に敏感ではない人もいますから。

でも、私の場合は割と「恥ずかしい」は先に立ちますね。

まあ最も極端な例は「裸は恥ずかしい」というところですが、服がないことの一番の恥ずかしさは「裸は恥ずかしい」に似ています、私の場合。

 

あらゆるシーンでの「恥ずかしさ」。

ところで、先ほど例に挙げた結婚式や会社に着ていく服は、わかりやすいですが、実は、服がないと、日常生活とか人生とか…あらゆるシーンで「恥ずかしい」んです。

その場、そのシーンに相応しい服が「ない」「分からない」となると、恥ずかしい。

ちょっと高校時代の友達と久しぶりに会うなんていう時でも、「何を着て行ったら良いか分からない。」となると、「恥ずかしい」です。

また、夫と再婚したばかりの頃、日々の日常着が似合っているかどうか分からず「恥ずかしかった」です。

デートに着ていく服がないとかも「恥ずかしい」です。

それに、パンプスばかりでスニーカーを持ってないとなると、近所に散歩に行くのも「恥ずかしい」だったりします。

おしゃれな洋服のお店に買い物に行きたいけど、変な服ばかりで着ていく服がないとなると、恥ずかしくて行くのを見送ってしまったりします。

「恥ずかしさ」は服で解消できる。

このような恥ずかしさは、服で解消できるのだと最近気づきました。

例えば、私は「何だかイマイチなコート着て外に出るの恥ずかしい」と思っていたのですが、きちんと「素敵なコート」を買うことで、解消できたからです。

「素敵なコート」って、「自分にとってOKなコート」です。(他人の目ではなく。)

それまでは、「恥ずかしい、恥ずかしい、その上、他人の目線ばかり気にしている自分自身が恥ずかしい」で、「こんなことくらい気にしない自分自身にならなくちゃ!」なんて心理学やったりしていたのです。

ところがです。

「自分にとってOKなコート」を買った途端、あーら不思議! 他人の目まで気にならなくなったのです。

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それまでは、「外に出歩くのが恥ずかしい」状態だったのに、今では外に行くのがワクワクしますし、他人にどう思われるかなんて考えもしません。

心理学やるより服を買おう!

人生のあるシーンで「恥ずかしい」と思った時、心が敏感な自分を恥じて、心理学やっちゃたりすることがありますね。

でも、この処方箋は、心理学よりも「そのシーンにふさわしいお気に入りの服」です。

そして、「自分はそういう時に恥ずかしいと感じるのだ」ということを素直に認めてあげることです。

自分はそういう、「服に関する感度が高い人なのだ」と、自分で自分を肯定するんです。

「心が敏感=悪」ではないんです。

「服に関する感度が高い=悪」でもないです。

ここを「恥ずかしいと感じちゃいけない」みたいになると、心理学の深みにハマって堂々巡りをしてしまうだけなんです。

「友達と会うのに恥ずかしい」となったら、恥ずかしいと感じなくなるまで自分の服を検討したり、コーデを考えたり、必要なら買ったりすれば良いと思います。

ここは時間もお金もかけて良いところです。

そして、そんな自分自身を恥じるよりは受け入れてあげることです。

もう1つわかりやすい例を挙げます。

例えば、中学生の女の子が、親の転勤の都合で新しい学校に転校したとします。

新しい学校の制服はセーラー服なのに、自分だけ以前の学校のブレザーだったりすると、ごく普通に恥ずかしいと思うんです。

こういう時の恥ずかしさって、当然、新しい学校のセイラー服を買えば解決するわけです。

それを、以前の学校のブレザーを一人だけ着たまま、心理学や自己啓発とかで「恥ずかしさを消そう」なんて努力しても絶対に消えません。

この制服と似たようなこと…TPOの微妙なズレとか…を、自分で放置してしまっているのが「着る服が分からない恥ずかしさ」なのではないでしょうか?

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おわりに

今日は、「服が心に与える影響:服がもたらしてくれるもの。」というタイトルで「恥ずかしい」という気持ちへの対応について書きました。

「恥ずかしい」と感じているならその感覚を否定して心理学にハマるより、服を買ってリアルな恥ずかしさを解消してしまった方が早いです。

その結果、人目が気にならなくなるのです。

なーんて、偉そうに書きましたが、ここに辿り着くまでは長かったです。

お金も時間も相応にかかりました。

先日「私、自分のワードローブ買い切ったなあ」と、自然に感じるところまでお買い物をしまくってやっと気づきました。

でも、この経験は、「服がどれだけ大切なものなのか」ということも、私に教えてくれたのです。