『服を買うなら、「本を」捨てなさい』というタイトルで記事を書きます。
このタイトルは、昨日の記事同様、地曳いく子さんの名著『服を買うなら、捨てなさい』のパクリですが、内容はそれとは無関係で、おしゃれすることへの罪悪感についての話です。
昨日お話しした罪悪感は、ミニマリストとして物を買ってしまうことに対する罪悪感でしたが、今日の罪悪感は、「おしゃれへの罪悪感」。
服を買ったことへの罪悪感は、この2種類の罪悪感がからみついていたようです。
1600円の服と1600円の本。
最近購入した3着の服のうちの1枚を買った日のことです。
その日買った1枚の服というのは、ベージュのノースリーブのカットソーです。セール品で1600円くらいでした。そして同じ日、本を1冊買いました。それも1600円くらいでした。
どちらも同じ1600円くらいだったのですが、どういうわけか、服のことは、「1600円も使っちゃっていいのかしら?」なんて罪悪感を感じました。
ところが、本に関しては、「1600円。そんなものだろう。」と思ったのです。
同じ1600円を支払うのに、服に感じたのと本に感じたのと、この印象の違いは一体どこからくるのか考えた、というのが今日の話題です。
本はOK、服はNGという価値観。
そもそも、私には、「本はOK、服はNG」という価値観があることに気づきました。
(そういう人、もしかして結構いるかも知れないと思って記事を書くことにします。)
この価値観は、親から受け継いだものだと思います。私の母は、とても教育ママでした。本はいくらでも買ってくれましたし、勉強や本を読むのは良いことだとされていました。
一方、服に関しては、一種の贅沢品という印象がありました。必要な服は買ってくれましたし、おしゃれを禁止されていたわけではなかったのですが、「勉強や本」に比重が置かれていたのです。
大学受験の頃は、私が「なりふりかまわず勉強している。」ということに、とても喜んでいました。
私自身は、自分なりに「なりふりはかまっていたつもり」だったので、ちょっとこの言葉にはカチンときました。
でも、それはさておき、「あんたは、なりふりかまわず勉強している」という母の言葉は「おしゃれなんてしないで勉強したり本を読む方が素晴らしいことだ」という価値観がモロに伝わってくる母独特のホメ言葉でした。
「おしゃれなんてしないで勉強したり本を読むのが素晴らしいことだ」「服装は地味で良い、人間は中身が大事」というようなこの価値観は、母から私自身に受け継がれました。
そして、同じ金額を払っても、本は何とも思わなくても、服に支払うと「こんなに使っちゃってヤバイ」と、自動的に思うのです。
おしゃれすることへの罪悪感と頭でっかち。
「おしゃれなんてしないで勉強したり本を読むのが素晴らしいことだ」「服装は地味で良い」という価値観が根底にあると、「地味」以上のおしゃれをすることに罪悪感を持つようになります。
それと、「本は素晴らしい」「知識は素晴らしい」…まあ、それは良いにしても、「服はどーでもいーので。」と、外見軽視の中身重視の頭でっかちな人になりがちです。
おしゃれへの罪悪感は、知識偏重のアタマでっかちと結びついているような気がします。
人は見た目が10割
ところで、『人は見た目が9割』というよく売れた本がありましたが、それどころか、見た目が100パーセントという言葉もあります(私が最初にこの言葉を知ったのは、斉藤一人さんの本からでした)。
これは、見た目が100%だから、中身はどうでもいい、外見を磨け、おしゃれしろ! ということとは少し違います。
人は、見た目が良いと、中身も良いと思われてしまうということです。他人には、見た目しかわからないということでもあります。
例えば出世しようと思って本を一所懸命読んで勉強しても、ボロボロの服装をしていたら、なかなか報われません。
身ぎれいにしていたら、本なんて読まなかったとしても、その方が優秀だと勘違いされ、出世してしまうということです。
また、見た目は、ある意味、中身を全てを物語っているという一面もあります。
頭でっかちで、本ばかり読んでノンメイクで地味な服装ばかりしていたら、「ああ、この人は本ばかり読んでおしゃれなんて何も興味がないのだ。」という、本人の内面が全部外に表れているということでもあるのです。
そして、周囲に相応に扱われたりもします。
私の場合、暗い色の服ばかり着ていたら、何だか夫婦関係がギクシャクしてしまったのは、こういうところから来るようにも思えます。
おわりに
「服にはお金を使わないようにしているけど、本ならいくら使ってもOK。」という人、結構いるのではないでしょうか? 私自身もそうでしたし、今でもその傾向があります。
今回、たまたま同じ日に、同じ1600円で、服と本を買い、ついつい、服にお金を使ってしまったことへの罪悪感が自動的にわいてきたことであらためてこの「おしゃれへの罪悪感」に気づきました。
本を全否定するわけではありません。
でも、もし、おしゃれすることに罪悪感があるなら、そんな罪悪感は読まない本と一緒に捨ててしまい、服を買っておしゃれしてニコニコしていた方が、人生幸せなんじゃないかな、と思ったというわけです。
それでは、『服を買うなら、「●●を」捨てなさい』という罪悪感に関する2つの話は、これでおわりにしたいと思います。
ちなみに、昨日の記事はコチラです。↓