人の役に立つことと自己犠牲の境界線とは? というタイトルで書きます。
最近ふと気づいたことです。
「人の役に立つ」ことと自己犠牲は、そもそも無関係。
機能不全の家庭で我慢づくしで、親の顔色などを伺いまくって過ごすと、「いつも自分を犠牲にして人の役に立っていなければならない」というのがデフォルトの心理状態になっていたりします。
これを克服するのはかなり大変(そのような状態になっているということにさえ気づいていないこともあります。)…だと思いますし、私自身、本当にこれがなかなか克服しきれていないようで、ふと気づくと、自分を犠牲にして相手の役に立とうというドツボ状態にすでに居たりします。
ところで、そもそも、今回のこの記事のタイトルにあるように「人の役に立つこと」と「自己犠牲」は本来無関係なのに、リンクしてしまっていること自体が問題です。
本来「人の役に立つ」というのは、人の役に立とうなんて全く思わなくても、自分が何かを楽しんでやった結果、巡り巡って人の役に立っていた…というようなことです。
「人の役に立つ」というのは、「自分を犠牲にして何か他人の役に立つために我慢して嫌なことをすることである」こととイコールではないのです。
「人の役に立つこと」と「自己犠牲」がリンクしてしまっている人は、どの時点でも良いので、気づいたらすぐにやめましょう。
自分を安全地帯に置いておくために。
「人の役に立つ(正確に言えば、そう勘違いしていること)」はあきらめて、苦しくて嫌な自己犠牲をまずやめることです。
こうすることで、相手と自分の間に、適切な境界線を引き、自分の安全圏を一つ手に入れることができるのです。
「自分は常に安全地帯に居て良いのだ、安全地帯に居る権利があるのだ」と自覚することです。
そもそも、自分を犠牲にして相手の役に立とうなどという危険なことに手を出してしまうのは、「自分はそうしなければ価値がない人間だ」と思っているからです。
安全地帯に居ても自分は価値があるし、自分の価値は自分一人が認めれば十分で、他人に価値をつけてもらう必要はないのです。
人の役に立つことと自己犠牲の境界線を超えないために
ところで、ついこの深みにハマってしまう時、本当はもっと初期の段階で、自分の感情がサインを送っていたりします。
「可哀想」
というのが代表的です。そして、そこには自分勝手な妄想がついて回っています。
「お金に困っていて可哀想だから助けてあげなくちゃ。」とか、
「悩んでいて可哀想だから聞いてあげなくちゃ。」とか。
実はこれは私が子供時代、自分の親に対していつも思っていたことでもあります。
「お金に困っている」「悩んでいる」などには特に敏感に反応します。
でも「可哀想」が出たら、本当によくよく注意しなければならないと思います。
「可哀想」が出ると、いても立っても居られず、無意識に駆り立てられるかのように自己犠牲に走る…というのがデフォルトのパターンだとしても、そっちの方向へは行かないようにすることです。
「可哀想」が動機なら、やらない、「何もしないのが一番の親切」と思って、突き放したり放置が一番です。
(しかも「可哀想」というのは、自分の誤解に過ぎず、相手は実は全然「可哀想」ではなかった、というオチも付きます。結局、自己犠牲した自分が一番「可哀想」というのが結末で、自分の独り相撲になるのです。)
このような過剰な親切アピールは、「自分が冷たい人間である。」ということを受け入れていないために起ります。
「冷たさ=悪」だと思っているから、「私は冷たい人間ではないですアピール」をしたくて過剰な親切に走るのです。
親から「優しい人になってよね。」「優しくなければ人間ではない。」などと植え付けられるとそうなります。
「冷たさ」も人生には必要です。
「冷たさ」を有効に使えば、変な人を突き放し、トラブルに巻き込まれずに済むので、「冷たい人間=人間失格」ではないのです。
「冷たさ」は、人間ならば誰でも持っている1つの側面にすぎず、それ自体は良くも悪くもないのです。
包丁と同じで、使い方で良くも悪くも転ぶだけです。包丁も、良く使えば料理に役立ちますし、悪く使えば殺人までできてしまうというだけです。
自己犠牲に走るのは見捨てられたくないから
自己犠牲に走ってしまう背景には、「見捨てられたくない」という気持ちがあります。
孤独への恐れです。「友達を失ってしまうのではないか?」とかです。
そして、一人ぼっちになる自分を恥じるのです。
でも、一人ぼっちなんて、全然恥ずかしいことではありません。
孤独を恐れないようにしましょう。
自分には自分が居ます。
自分で自分の話をちゃんと聞いてあげましょう。
孤独が怖いのは、自分で自分の気持ちを抑圧したり、無視したりして、自分の気持ちをちゃんと聞いてあげてないからです。
世界中の人に見捨てられても、自分で自分を見捨てなければ十分、孤独で怖いことなんて何もないんです。
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おわりに
人の役に立つことと自己犠牲の境界線とは? というタイトルで書きました。
「可哀想」が出たら要注意です。
そして、「冷たさ」を抑圧せず、有効活用して、自己犠牲への境界線を踏み越えないようにしましょう。