晴れやかブログ

シンプルで生き生きとした生活がしたいミニマリストが断捨離や日々の想いをつづります

「丁寧な暮らし」という強迫観念を手放せばラクになる。

今日は、家事をしたくない系ミニマリストであるわたしが、家事をしないでラクに生きるための理屈を述べます。

しばらく前『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』という本を読みました。仕事や家事に追われていたのが一段落し、ふと足を運んだ本屋さんで見つけた本でした。

この本は、家事が負担だと感じる人にはおすすめな本です。

 

『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』という本を読んで。

こういう本を手にとってしまうこと自体、当時、自分がちょっと追い詰められていた気分だったことを象徴しています。一体何に追い詰められていたのかというと、「家事をちゃんとやらなくちゃ」という気分です。

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ブックレビューというよりは、本がきっかけで気づいたことを書きます。

この本をきっかけに、わたし自身の「家事をちゃんとやらなくちゃ」気分の原因の1つに「丁寧な暮らし」への強迫観念があったことに気づきました。

「丁寧な暮らしを良しとする風潮」に疲れる

まずわたしが気づいたのは、「丁寧な暮らしを良しとする風潮」に、わたし自身が無意識的に疲れを感じていたことです。

近所の本屋さんの一角に、丁寧な暮らしをしているカリスマ的な人たちを取り上げた本が、たくさん並んでいるところがあります。「すごいなあ」と思う反面、「またか」と思ったりします。

最近では、手にとって見る気も起こらなくなっています。何だか疲れてしまうんですね。

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丁寧な暮らしっぽいイメージ。

「丁寧な暮らし」のファッション性に疲れを感じる

こういう本や雑誌がたくさん発行されているということは、それだけ需要があるのだという証拠なのでしょう。でも、ファッションとおなじで、「こういうのを目指すべきなのですよ」と、メディアに煽られているような気がします。

メディアが先か、需要が先か、わからないですが、これが流行の一種になっているところに、わたしが個人的に「疲れ」を感じる原因があるようです。自分なりの生活というよりは、何か「型」があるように感じます。

こだわりの道具やお気に入りのもので構成された、雰囲気のある世界とか。ゆっくりと時間をかけて作られたハンドメイドな何かとか。「フライパンや鍋にこんなにこだわらなくても良いのに」などと、わたしなどは思ってしまいます。

まやかしの憧れは、自分を疲弊させる

以前は、どこかで「丁寧な暮らし」というものに憧れていました。「わたしにはついて行かれない…無理…」と思いつつも。

それで、「自分もこうしなければならない」と思い込んでしまっていたわけです。でも、本来、「どうやって暮らすか?」ということに良いも悪いもないはずです。

本や雑誌に載っている、丁寧な暮らしのお手本のような写真は、「本当はこうするのが良いですよ」と、おせっかいにも、アドバイスしてくれているように思えます。

ですが、そこに映っているのは、わたし自身の家ではなく、赤の他人の家なのです。「本当の自分の心地よさ」とは、まったく別物なんです。見当違いな憧れに向かって努力しても、疲れてしまうだけです。

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おわりに

丁寧な暮らしは、手間ひまがかかります。家事に時間がかかりすぎる元凶の1つです。家事に時間をかけすぎて、ゆっくりくつろぐヒマもないほど忙しくなってしまっては、本末転倒。心地よさからは、かえって、遠のいてしまいます。

それが趣味だというなら否定はしませんが。

家事はわたしにとって、なるべく時間をかけないのが理想です。「丁寧な暮らしをしなければ…」という強迫観念みたいなものを手放し、できる限り手間ヒマかけずにやって、自由時間を増やしていくということに罪悪感を持たないようにしたいものです。

以上、家事をしたくない系ミニマリストであるわたしが、家事をしないための理屈をこねました。