今日は、ミニマリストやまぐちせいこさんの著書、『無印良品とはじめるミニマリスト生活』の感想を書きます。
この本には、私が若い頃、理想だと思っていた、シンプルな部屋のイメージがギッシリ詰まっています。
私はいつの間にか、この理想に疲れ、追いかけなくなり、無印良品の部屋は、昔の夢になっていました。
ですが、どこかで「実現できなかった」という小さな悔しさが残っていたようで、この本を、買ってはみたものの、妙なうらやましさのようなものがわき上がってきて、最初はまともに読まなかったのです。
でも、最近になって、再び本を開いて、何となく静かな気持ちで文章を読んでいるうちに、自分の「うらやみ」がお門違いだったことに気づきました。
それで、このレビューを書くことにしました。
理想を追ったのではなく、手放した結果。
本によると、やまぐちさんは、最初から無印良品だらけの部屋に住んでいたわけではなかったことがわかりました。
やまぐちさんは、ナチュラルカントリーにハマったり、北欧家具にハマったりした時代もあったそうです。私は、「何だ、そうなんだ!」と驚きました。
私は、無印の部屋は、何か理想のイメージを追っかけて実現するものだと勘違いしていたのです。
実は、このことが、「うらやみ」がお門違いだったと思った理由です。
もしかして、私がシンプルな無印の部屋を実現できなかったのは、理想を追っかけてしまったからだったのかも知れないと思いました。
やまぐちさんは、何度も取捨選択を繰り返し、様々なものを手放した結果、このスタイルになったというのです。
何か理想のイメージを追っかけていたわけではなく、考えぬいて、いらないものを手放していったら、結果として、無印良品だらけの部屋になっていただけだったと知ったとき、やまぐちさんに対して共感を感じました。
そして、さらに本を読み進めて、物を大切にしてメンテナンスを怠らないという丁寧な生き方に、…私とは違うけど…驚きと敬意を感じたのです。
憧れの無印良品のテーブルと、物を大切にする気持ち。
ところで、『無印良品とはじめるミニマリスト生活』には、2つのテーブルが出てきます。1つは丸いダイニングテーブル、そして、もう1つはコタツです。
やまぐちさんは「うっとりするデザインのものを買う」と、本の中で語られていますが、実は私は、特に無印良品のテーブルには、若い頃から、長年、憧れを持っていました。
そして、何度か買おうと思って店舗まで足を運んだこともあり、購入するチャンスもあったのですが、結局、買うのをやめてしまったのです。
というのは、テーブルの天板の表面が、ザラザラしていたからです。「これは仕上げを手抜きしているのではないか?」なんて思いました。
そして、「何かちょっとこぼれたら染みになってしまいそうだし、紙ペラ1枚を置いてえんぴつで何か書いたら、ガタガタになってしまうな。」と思ったのです。
今ウチで使っている、ダイニングテーブルがわりのコタツは、どこにでもありそうな、無骨なデザインのもので、オシャレでも何でもありません。
夫が私との結婚前から持っていたもので、どこで買ったのか覚えていないとのこと。安くてどこにでもありそうな、適当なものです。
でも、テーブルの上面は、ツルツルと加工されていて、傷もつかず丈夫で、お手入れはラクラクです。水拭きで十分。特別なメンテナンスは必要ありません。
無印良品のテーブルは、ダイニングテーブルにしても、コタツにしても、デザインはウットリするほど素敵かも知れませんが、天板のザラザラが、私にとっては問題でした。
毎日このテーブルの上で食事したり、何か書いたりすることを考えると、「使い勝手が悪いのではないか?」と思い、高いお金を払ってまで、買い替えるところまではいかないのです。
メンテナンスが必要なテーブル。
ところが、やまぐちさんは違ったのです。
この本の中で、やまぐちさんが、テーブルにオイルのようなものを塗ってメンテナンスをしている様子が写っています。私はこのことに驚き、感動しました。
無印のテーブルは、日々こういう手間をかけることができる人が持つべきテーブルなのだと思いました(または、多少のことは「味わい」だと思える人向け)。
そもそも、オイルを塗ってメンテナンスできるものだということ自体、初めて知りました。
また、やまぐちさんは、白いシャツも、いつまでも白いままでいられるようにと、特別なメンテナンスをされています。
洗剤と漂白剤を入れて鍋でシャツを煮沸してしまうというのは、かなり驚きました。
好きなものならメンテナンスをする手間ひまを惜しまない人、これは物大切にする気持ちであることは間違いありません。
これには、素直に敬意を感じます。
私が無印良品のテーブルを、これまで買わなかった、そして今も買わない理由
『無印良品とはじめるミニマリスト生活』を読んで、メンテナンスをきちんとすれば、無印良品のテーブルもキレイに使い続けることができるのだとわかりました。
さて、それで、私自身は、テーブルのメンテナンスをしたいかどうかと考えてみました。
それで、こまめなメンテナンスをする気力が、今の私には欠如していることに気づきました。
ミニマリストの多くの方は、物を減らすと家事が減り、時間ができると言います。やまぐちせいこさんも本の中でそう語っていました。
もし私が、今後もっと持ち物を減らして、実際に「テーブルのメンテナンスはできそうだ」という時間とゆとりができたなら、そのときに、購入を検討してみても良かろうとは思います。
でも、もし、ゆとりができたら、物のメンテナンスではなく、もっと他のことに時間を割きたいと思うかも知れません。
読んで良かった
無印良品のインテリアに囲まれたシンプルな部屋というのは、ミニマルライフやシンプルライフの憧れイメージの最も典型的なもののうちの1つです。
そのものと言っても良いかも知れません。
そのイメージの中に暮らしているかのように、私が勝手に思い込んでいたやまぐちせいこさんの著書を読んで、むしろ私は何か理想のイメージを追っかけて苦しくなるような気持ちが急速にしぼみました。
これは「読んで良かったな」と言えることのうちの1つです。
そして、何だかもうウンザリと思いながら、気になってしょうがなかった、シンプルライフイメージの本や雑誌も、「自分が追いかけるわけではないけど、それほど毛嫌いする必要もないな。」という気分になりました。
これからは、楽な気持ちでシンプルライフイメージの本や雑誌を読めそうです。
追いかけるのではなく、捨てたその先
自分の本質とはズレた何かを追いかける必要はなかったのです。
私自身も自分なりに、いらないものを手放していった先に、ごく自然に、どこかへ行き着くのだろうと思います。
『無印良品とはじめるミニマリスト生活』は、文章よりも写真がたくさん載っている本です。そして、本のオビには「おうちで無印良品で、今すぐ真似できる!」という煽り(あおり)が書かれています。
本の編集の主旨も、無印良品の商品を売るためだったかも知れません。
ですが、個人的には、インテリアのお手本にするよりも、「捨てて、捨てて、捨てて……それでも残ったのが「無印良品」でした」というところだと思います。
「捨てて、捨てて、捨てて……それでも残ったのが「●●」でした」
私が捨てた先にあるのは「無印良品」ではなく「●●」。「●●」に入るのは、おそらく、どの人にとっても違う言葉。
このことをハッキリと教えてくれたのが、やまぐちせいこさんの『無印良品とはじめるミニマリスト生活』でした。