「ミニマリストになるよりも、エネルギーを活性化したいから捨て活しています。」 というタイトルで書きます。
そして、昨日から、ブログの趣旨であるサブタイトルも同じように変えました。
最初は「ミニマリストをやめます」にしようかと思いました。「ミニマリスト」ということに縛られているような気がして、自由になりたかったからです。
でも、「やめます」と言い切ってしまうと、「やめました」ということに妙に「縛られるな」と逆に感じます。
ミニマリズムは、良い部分もあるからです。
今後は、ミニマリズムとは、つかず離れずの、ラクな形でつきあいたいと思います。
こんな風に思うようになった理由を書きますね。
自分は「ミニマリスト」ではないと感じる理由。
まず、私は自分が「ミニマリスト」ではないなあと感じる理由について書きます。
私はこのブログで「捨てる」記事を時々書いていますし、このブログの大きなテーマであり、かつ、私の人生の大きなテーマでもあります。
「断捨離をして行った結果、持ち物を減らしミニマリストになる」というのが、よく見られるライフスタイルのパターンです。
でも私は、断捨離をしたからといって、持ち物を減らそうとは、実は思わなかったのです。
様々な断捨離をした人たちを観察するようになって初めてミニマリストというものが視野に入ってきました。
それに追随する形で、私もミニマリストになるのは良いのではないかと思い始めました。
でも、私は、長年、モノを捨てる生活をしながら、「モノを減らそう」という発想が浮かばなかったのです。
そして、今も、実はあまりモノを減らすことにそれほど興味がありません。
ミニマリストはモノが少ない人ではないという話もありますが、もっと言えば、「モノが少ないだけの人ではない」ということであって、モノが多い人でもないと思うのです。
ミニマリストと自称することは、明らかに自分の本質とズレているのであって、本質からズレているがゆえの居心地の悪さがあります。
ミニマリストのライフスタイルは参考になることも多くて、今でもいろいろな人に注目しています。
ただ、モノが少ないことを良しとするということを考えると、「私は違うよなあ」というのが、ミニマリストという自称を捨てる理由です。
ミニマリズムの良い面。
ところで、それでもミニマリズムの良い面で、「その通り!」と感じる部分があります。
特にそれを感じるのは、「家事をラクにする」というところです。
家事を人生の目的にする人はあまりいません。好きならば別ですが。
このような、誰でもやらなければならないけど、できるだけ時間をかけたくないところをいかに減らしていくかという工夫は、今後も取り組んでいきたいところです。
ただ、「モノを減らすとモノのお手入れに時間がかからなくなるから、家事がラクになる」という考えはやや疑問です。
例えば、あまりにも服の数を減らしてしまうと、洗濯の頻度がアップしたり、季節ごとに買い物労働をしなければならなくなったり、家事をかえって増やしてしまいます。
ですから、この辺は、「自分のラク」だけ考えて、ミニマリズムとは上手くつきあっていきたいと思っています。
なぜ私はモノを捨てるのか?
ところで、最後に、私がモノを捨てる理由について書いておきたいと思います。
その答えは、「エネルギーを活性化したいから」なんです。
私は、カレン・キングストンの言う「エネルギーの滞り(とどこおり)」をなんとかするために捨て活をしてきました。
そして、今もそれは変わりません。
実は捨てるだけでもないのです。
私は、「不用品を捨てた結果、空いたスペースに入ってくるもの」が好きですし、捨てるのは「新しい何か」を入れるためでもありました。
実際、何か要らないもの=「エネルギーの滞り(とどこおり)」を手放すと、必ず何かが入って着ていました。
それが面白くて、捨て活を行っていたのであって、モノを減らす為に捨て活をしていたのではなかったのです。
捨てたあと入ってくる「新しい何か」は、モノである場合、逆に持ち物は増えます。それで良いと思っています(ここがミニマリストと相反するところかとも思います)。
また、捨てたあと入ってくる「新しい何か」は、新しい考え、新しいアイデア、新しい人生の局面、お金、人間関係など、必ずしもモノであるとは限りません。
「入ってくる」と言う言い方はちょっとオカシイかも知れません。なぜならば、「自分で入れている」のが事実だからです。
でも、「今まで何の興味もなかったことに急に興味が湧く」というエキサイティングな状況は、新しい自分との出会いでもあって「入ってくる」と感じるわけです。
また、私は、断捨離とか捨て活は、呼吸みたいなものだと思っています。
呼吸は、要らない空気を出すと、自動的に新しい空気が入ってきます。
自分で入れているわけですが、無意識が行ってくれるので、放っておけば新しい空気は「入ってくる」のです。
それを、空気を出しただけで止めてしまうと、たちまち苦しくなります。
出したら何かが入ってくる方が自然だと思っています。
捨てすぎてガランとした寂しい部屋になってしまって「幸せじゃない」と感じてミニマリストをやめる人もいます。
呼吸の「入ってくる」という、自然な流れを止めてしまったからではないでしょうか?
一方、ガランとした部屋に幸せを感じるミニマリストは、「広々と空いた空間」が「入ってきた」のではないかと思います。
あらゆるものはエネルギーで出来ている
実は「モノ」も私たちも、あらゆるものはエネルギーで出来ているそうです。
アインシュタインもそのように解明しています。
モノを捨てすぎた時、何だか虚しくなってしまうことも過去にはありました。
多分、捨てるべき「エネルギーの滞り(とどこおり)」以上に、必要なエネルギーも捨ててしまったからでしょう。
私は、捨て活は基本的には「ゴミ」と「不用品」だけで十分だと考えています。
自分を豊かにしてくれるものは、たくさん持っていても良いと思うのです。
大事なのは、エネルギーだと思うんですね。
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おわりに
今日は、「ミニマリストになるよりも、エネルギーを活性化したいから捨て活しています。」というタイトルで書きました。
自分の本質に立ち返ったようで、ホッとしました。
それで、ブログのサブタイトルも変更したわけです。
「シンプルで生き生きとした生活がしたいミニマリストが断捨離や日々の想いをつづります」
という古いのをやめて、以下のように
「ミニマリストになるというよりは、エネルギーの活性化の為に捨て活をしています。」
に変えました。
今後も自分を「ミニマリスト」言うこともあるでしょう。その方が都合が良いこともあるからです。
ミニマリストであってもなくても、そのことに縛られてしまうようなスタンスを手放そうと思っています。