ゆるりまいさんの漫画『わたしのウチには、なんにもない。』のレビューを書きます。
「「物を捨てたい病」を発症し、今現在に至ります」というサブタイトルがついている、ミニマリストには有名な漫画です。
それでは感想などを書きます。
ゆるりまい『わたしのウチには、なんにもない。』を読んだ当初。
昨年から「読みたい!」と思っていたところ、近所の古本屋で4巻まとめて発見し、早速購入したのは、実は昨年の年末でした。
わくわくしながら読み始めましたが、読んでいるうちに、「思っていたイメージと全然違う。」と感じ、次第に違和感を感じ、イライラしてきました。
私はこのようなブログもやっていますし、レビュー記事も書きたいと思っていたのですが、何をどう書いたら良いのかわからなくなり、読んだものの放置していたのです。
それでレビューを書くのに5ヵ月もかかってしまいました。
ところで、私が読んで最初に感じた「違和感」や「イライラ」は、一体何だったのでしょうか?
それは、ひとことで言って「うらやましい」だったのだと、後になってわかってきました。
それで、レビューを書くのがこのように遅くなった次第です。
最初に期待していたイメージ。
私が最初に期待していたイメージは、「何にもない、ガランとした部屋」でした。
何にもない部屋で、家族もいて、一体どんな風にして暮らしているのだろうと、とても興味がわいたのです。
たいてい、何もないガランとした部屋のミニマリストと言えば、独身の一人暮らしで、何でも自分の好きなようにできる立場にあるというのが私の思い込みだったからです。
ガラクタは何にもない。
ですから、ある意味、『わたしのウチには、なんにもない。』というタイトルは適切だとは言えません。
正確に言えば、『わたしのウチには、ガラクタはなんにもない。』と言うべきでしょう。
お気に入りのものだけを厳選した生活。
ゆるりさんのやっている生活は、何にもないではなく、「お気に入りのものだけを厳選した生活。」です。
そんな生活を、徹底して、しかも、とても楽しそうにやっていること、このことがとてもうらやましかったのです。
読んだ当時の私と「お気に入りのものだけを厳選した生活」ができない言い訳。
『わたしのウチには、なんにもない。』を読んだ当時の私は、ミニマリストなどが「お気に入りのものだけを厳選する」ということに批判的でした。
「お気に入りのものだけを厳選した生活」は、かなりハードルが高い生活です。
断捨離をほぼ終えて、やっとすっきりしてきたのに、「まだモノを捨てたり、買い替えたりしなければここへ到達できない。」なんて思うとめまいを感じたほどです。
それで、以下のような言い訳が出てきました。
「ゆるりさんみたいに若くなければ出来ない。若い人の生き方だ。」
「何もここまでする必要はないだろう。贅沢すぎる。」
「気に入るまでモノを買い替えたら、お金が無駄にかかりすぎる。」
「面倒くさすぎる。」
などです。
そして、脳裏には、自分ではどうしようもないように思えたわが家のガラクタがいくつも思い浮かんでいたのです。
『わたしのウチには、なんにもない。』を読んだ5ヵ月後の変化。
結局、『わたしのウチには、なんにもない。』を読んだ直後は、嫉妬によるイライラと違和感でモヤモヤして何もレビューなんて書けず、この漫画4冊は放置しました。
でも、その後、私自身にも変化が訪れたのです。
たまたま「毒親育ち問題」に向き合うことになり、インナーチャイルドを知り、カウンセリングを受け、自分の内面を見つめて本音を知る機会ができました。
夫とも話し合い、ゆるりさんの言葉で言えば「捨てのK点越え」も体験しました。
そして、「お気に入りのものだけを厳選した生活」をすることが、自分のメンタルにとっても、いかに重要なのかということがわかってきました。
それは、実は「もの」だけではありません。
「今日は何が食べたいか。」とか、「どこへ旅行に行きたいか。」とか、「今やりたいのは何か?」とか、あらゆることに及ぶのです。
今、私は、自分の「感性」に従った本音を大事にして日々を生き始めています。
そんな中、ふと、放置してあった『わたしのウチには、なんにもない。』が目に止まりました。
そして、またパラパラとめくってみて、以前感じていたモヤモヤは、「ただ単に嫉妬してうらやましかっただけだ。」とわかったのです。
応援に感謝してます♡
おわりに
今日は、ゆるりまいさんの『わたしのウチには、なんにもない。』レビューと、私自身の心の変化。ついて書きました。
「お気に入りのものだけを厳選した生活」は、自分自身の本当の心に向き合う生き方です。
そして、きっと心を豊かにしてくれるのだと今は思っています。