晴れやかブログ

シンプルで生き生きとした生活がしたいミニマリストが断捨離や日々の想いをつづります

朝のルーティンを見直した結果、手放したこと。

ルーティンを見直した結果、手放したことについて書きます。

1つ1つは大した手間でもなかったのですが、幾つか重なったり、毎日のことになると、それなりに自分の時間や気持ちを圧迫します。

それで、やめたら、やはり「ゆとり」が生まれました。

 

以前の私の朝のルーティン。

まず、手放す前の私の朝のルーティンについて書きます。

  1. お湯をわかしてコーヒーを入れる。
  2. 前夜の乾いた食器を仕舞う。
  3. 猫のご飯の食器を洗ってご飯を取り替える。
  4. 猫の水を取り替える(水の装置を洗ってから)。
  5. 前妻さんと亡くなった猫の飲み物を、器を洗って取り替える。
  6. 亡くなった猫にご飯を供える。
  7. お線香をあげて手を合わせる。
  8. お供えの花の水を取り替える。

 上記の8つは、夫が起きてくるまでに終えておくと○(マル)と思っていました。

寝坊したりしてできないこともたまにありましたが、それでも最も最低限やっていたのは、夫が出勤前に飲むコーヒーです。

ドリップが間に合わなければインスタントの時もたまにありましたし、私が前日仕事等で深夜まで起きていて起きられなかった時は、夫が自分でやっていました。

夫は私が寝坊すると猫のご飯と水はやってくれることもあります。

やめたかったのは「亡くなった」人や猫のためのルーティン

その他のことは、夫が出て行ってからでも間に合うのですが、上記の8つをやると、およそ30分くらいかかります。

この中で私の負担になっていたのは5〜8の亡くなった前妻さんや猫のためのルーティンでした。

随分前から「やめたいなあ」と思っていましたが、私は自分の気持ちを無視してやり続けていました。

キャパオーバーで、肝腎の生きている猫のご飯を忘れてしまうことも出てきました。

何しろ私は「洗い物」が嫌いなので、仏様にあげる器を毎日朝から洗うということ自体負担になっていました。

中でも一番負担に感じていたのは、お供えの花の手入れです。

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花って、ただ水を取り替えれば良いというわけでもなく、腐り始めた茎の先端をちょっとずつ切ったりして、長持ちするようにしないとすぐにダメになってしまうのです。

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それで、花によっては、形が複雑だったり、また大量にあったりすると、花の手入れだけで20分もかかることもありました。

私は在宅ワークですが、急ぎの仕事を大量にかかえていて、朝すぐにとりかかりたいと思っているときなど、花の手入れの20分はとてもイライラするものでした。

「花を絶やさないようにしなくちゃ」と思って頑張っていました。私がこのようにしてきたのは、再婚するときに義両親に何となくそう言われたからです。

私は夫や夫の家族に好かれたくてそうしていたんです。

後妻としての自分の義務だと思っていました。

また、今の家は、夫の持ちマンション、夫と前妻さんが頑張って買ったものです。

私は自分は何の苦労も無くその恩恵を受けているのが「ありがたい」で済ませれば良かったものの「申し訳ない」という気持ちになり、「何かしなくちゃ」と自分にハッパをかけていたのです。

夫の家族がチェックしにくるなんてことは一度もありませんでしたが、私は、「この家に自分が存在していること」自体、「申し訳ない」と感じていたんです。

「いい人」「いい奥さん」「いい嫁」だと思われたかったということもありました。

 

本当にやりたかったのか? 本当に必要なのか?

朝のルーティンの見直しも、断捨離や不用品の処分と同じことで、「本当にやりたいの?」「本当に必要なの?」という、自分の本心への問いかけにつきます。

それで、もう随分前から、「本当はやりたくない」という答えは出ていたように思います。

「本当にやりたいこと」と「本当に必要なこと」だけを基準に考えると、やれば良いのは以下の4つだけです。

  1. お湯をわかしてコーヒーを入れる。
  2. 前夜の乾いた食器を仕舞う。
  3. 猫のご飯の食器を洗ってご飯を取り替える。
  4. 猫の水を取り替える(水の装置を洗ってから)。

要するに、「生きている者」への活動だけです。

それに、前妻さんや亡くなった猫を悼む気持ちは、朝のルーティンでなくても表現できるのです。

朝のルーティンをやめたからといって、猫との思い出が消えてなくなるわけではありません。

やると当然になるルーティン

それでも、やっていると「やるのが当然」でなかなかやめられないのです。

夫にしても、再婚当初は「そらちゃんが前妻に花や水を供えたりしてくれるのはありがたい」と言ってくれていました。

でも、それが、次第に「私がやるのは当然」という感じになっていき、「本当は前妻は紅茶が好きだから水だけじゃ可哀想」なんて言うようにさえなったんです。

夫は自分ではやらないくせに!

それが楽しければ何も問題はないですが、何かを黙ってやっていると、「やって当然」という空気が流れてくるものです。

こうなると、私も嫌になってきてしまいます。

でも、こういうのって、特に主婦には多くないですか?

私の場合は「亡き者へのお供え」というワークでしたが、「食事の支度は当然」「洗濯も当然」「掃除も当然」「子供の世話も当然」「介護も当然」などなど…

例え必要なことだったとしても、「やって当然」という空気があると、本当に気持ちはすさんでしまうのです。

ちょっと話がそれましたので、私自身の話に戻します。

夫は亡くなった猫へのお参りの仕方についても細かいことを文句を言うようになりました。

私は私なりのやり方で精一杯やったのですが。

ルーティンを手放すきっかけ

そして、この朝のルーティンを手放すきっかけが訪れました。それは、先日のお彼岸でした。

私は、お盆の行事もちょっとばかり負担に感じていましたが、お彼岸については、お彼岸であるということ自体忘れていたのです。

夫が何か買ってきてお供えするのを見て、「そうかお彼岸だったか!」と思い出しました。

そして夫に、私がお彼岸だというのに、「何もしない」「冷たい」というようなことを言われたんです。

でも、私にしてみれば、こんなこと言われる筋合いは全くないのです。

私にしてみれば、毎日朝のルーティンをすることで、一年365日がお盆やお彼岸みたいなものだったからです。

私は夫に対して腹を立てましたが、でも、そのおかげでやっと「花や水のお供えやお線香はもう負担だからやめたい」と伝えることができました。

これを言ったことで、夫にやっと「私にとっては朝のルーティンが負担だった」ということが伝わりました。

それで、夫は、供えてあった花を全部捨て始めました、私の目の前で。

私は、何もそこまでしなくても、「この花が枯れるまでは良いよ」と言ったのですが、夫は「自分が私に負担をかけていたのだ」と思ったようで、自分でそうしてくれたのです。

そして、私のお参りの仕方に文句をつけたことについても謝ってくれました。

嫌われる勇気

余談ですが、アドラーの『嫌われる勇気』という有名な本がありますが、実にこの私の朝のルーティンを手放すのに必要だったのは、「夫に嫌われる勇気」でした。

でも、本来の自分を隠したままで、好かれようとするのは苦しいだけだと最近思っています。

「本当の自分を見せたら嫌われるかも知れない」と恐れるわけです。

でも「嫌われてもよいので、本当の自分を見せよう」と勇気を出すと、「何故か不思議と、嫌われない」という結果にもなることも多いのです。

嫌われる勇気を出しても、必ずしも嫌われるとは限らない」のです。

むしろ逆に、嫌われる勇気を出した結果、以前よりも好かれるという現象もあります。

今回の朝のルーティンような、「亡き者へのワーク」は、本当は、夫自身も、もうやりたくなかったんだと思っています。

再婚当初、夫が私に「やって」と言ったわけではなかったのです。

私はきっかけはお義母さんに言われたことでもありましたが、自ら進んで花を買い、供え始めたのでした。

それで、最初は私は自分で花を買いに行っていましたが、そのうち夫が買ってきてくれるようになっていたのです。

夫は私と再婚する前、すでに花を供えるということは「たまに気が向いたときだけ」だったとのことです。

私が嫌われる勇気を出して朝のルーティンをやめたことは、夫をラクにもしただろうと信じています。

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おわりに

朝のルーティンを見直した結果、手放したことについて書きました。

具体的には「亡き者へのお供えやお参り」ですが、本当に私が手放したのは、夫や夫の家族、そして自分自身への「いい人」アピールだったのです。

さらに私は「ルーティンをやめて空いた時間は、何か余計な家事ではなく、自分がのんびりするために使いたい」と夫に言いました。

夫はどれほどわかってくれたかは分かりませんが、夫に「わかって」という前に、自分で自分の気持ちをわかってあげないとイケナイですねvv