晴れやかブログ

元ミニマリスト、節約好き。

とりあえず取っておくクセの結果、残っていたガラクタを手放す。

とりあえず取っておくというクセが私にはあります。

その結果いつまでもただ部屋に残っているというものです。

もう「使う目的は果たした」んだけど、何の疑いもなく取っておいてしまう「まだ使えそうなもの」です。

今日は、そんなものを捨てましたので、記事にします。

 

とりあえず取っておいたもの。

以下が「とりあえず」取っておいたものです。↓

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100円ショップで買った小さなツッパリ棒2つです。

これは、姿見(鏡)を壁にピッタリつけても倒れてこないように、姿見と天井から出っ張っていた梁(はり)の間に渡すためにわざわざ買ったものでした。

元々鏡は、スタンド式の、斜めに立てておくタイプでした。

私は、「鏡は壁面にピッタリつけなければならない」「風水上良くない」と思っていました。

私の好きなカレン・キングストンの『ガラクタ捨てれば自分が見える』という本に書いてあったので、それ以来、気にするようになったんです。

これの真偽のほどは良くわかりませんが、私はとにかくそう信じていました。

ナナメにする鏡を持っていた理由

ところで、それにもかかわらず、何故、「鏡のナナメは良くない」と思っているのに、私がナナメのスタンドタイプの鏡を持っていたかという別の問題がありました。

それは、数年前に、夫と再婚し、今の夫の持ちマンションであるこの家に、元々置いてあったからでした。

前妻さんが使っていたものだったんです。

実はそれもあって私はこの鏡を、最初から「嫌だ」と感じていました。

夫としては、親切に、私が使えば良いと思って、私の寝室に置いてくれていたんです。

デリカシーがないと言えばそうなのかも知れませんが、夫はデリカシーがないタイプではないんです。

夫は私と住むために、前妻さんのモノなど、私が来る以前に処分してくれていたからです。

ただ、鏡というモノに対する、夫と私の「感性」が違ったというだけです。

夫には何の落ち度もなかったのです。

私は自分の感性を無視してしまった

でも私は、「ナナメが嫌だ」「前妻さんの鏡を使うのが嫌だ」という自分の感性を無視したという、別の問題がありました。

私は、このブログでも何度か書いてきましたが、毒親育ちの我慢体質でした。

我慢ということを別の言葉で言い換えれば、「自分の欲求を無視する」「感じていることを感じなかったことにする」などと表現することができます。

私は「ナナメが嫌だ」「前妻さんの鏡を使うのが嫌だ」と感じつつ、「夫は悪気はないのだ」と自分に言い聞かせて3年が経過しました。

「自分さえ我慢すれば」は私の心の自動的反応でもありましたから、自分に我慢をさせてしまったんですね。

断捨離とインナーチャイルドワーク

そんな私に今年になって転機が訪れたんです。

「もう我慢はしない」という転機です。

きっかけは、昨年から始めていた断捨離で自分の気持ちに向き合ったこと、それからインナーチャイルドという、子供時代や過去に傷ついた自分を癒すワークをしたんです。

それで改めて自分の「感じていること」に対処する決意ができました。

ナナメの鏡を直立させる工夫

その結果、まず「ナナメになっている鏡を壁面にピッタリつけよう」ということになりました。

これならば一人でもできることです。

ただ、壁に穴は開けられないので、色々と考えました。その結果、思いついたのが、鏡を壁面に垂直に立てて、倒れてこないように、天井と鏡のフチを突っ張り棒で支えるというアイデアでした。

ツッパリ棒は通常、横に渡してつけるモノですが、私はこれをタテにつけることにしたのです。

それで、鏡と天井の間の長さを計って、購入したのが、今回捨てた2本の突っ張り棒でした。

これで私は、まず、私の1つ目の「ナナメが嫌だ」という感性に対処できました。

 

「鏡自体が嫌だ」という感性に向き合う

その後、私は、さらに自分の「我慢」をやめていくうちに、「この鏡が嫌だ」という感性にも向き合う勇気が湧いてきました。

余談ですが、これは、アドラーの「嫌われる勇気」とも言えます。

「夫に嫌われるかも知れないけど、自分の感性を大事にする勇気」です。

それで、夫に、自分はこの鏡が嫌なのだということを伝えました。

「前妻さんが使っていた同じ鏡を使うことのが嫌」ということと

「鏡を使うなら、自分の気に入ったものを買いたい」と言ったんです。

その結果、夫はまずは自分の寝室に持って行き、その後しばらくして、夫の知り合いで欲しいという人がいたので、もらってもらいました。

私は、鏡は「気に入ったものが見つかったら買おう」というスタンスで今は過ごしています。

マンションの作りつけの鏡でも今は間に合っています。

要らなくなったツッパリ棒

ところで、夫が自分の寝室に鏡を引き揚げてくれた時点で、2本のツッパリ棒は用済みになりました。

数ヶ月前のことです。

すぐに捨てられなかったというよりも、「何かに使えるかも知れない」と、疑いもなく残していたのです。

対して邪魔にもなりません。小さく細いので、置き場所なんてどうにでもなります。

でも、やはり目にすると「どこにツッパろうか?」と思いを巡らせたりするのです。

この「存在するからには使わなくちゃ」という小さなアセリやガンバリズムみたいなものが、私のエネルギーを微妙に奪っていることに気付きました。

この2本のツッパリ棒は、私にとっては、もともと、例の「嫌だった鏡を壁面に設置するネジや釘と同等」のもので、鏡の部品みたいなものでした。

「これは捨てた方が良いな」と決意が固まりました。

それに、もし、私が我慢なんかしないで、最初から「鏡が嫌だ」という自分の感性にきちんと向き合えていたら、ツッパリ棒を買うこともなかったんです。

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おわりに

まだキレイで新しい2本のツッパリ棒、やはりもったいなかったです。

でも、今の生活の中で、つっぱる必要は見当たらないのです。

手放して良かったと思っています。