お気に入りだった靴を断捨離することにしました。長年履いたお気に入りのショートブーツです。
以前は第一線で活躍していたブーツでしたが、今は買わない、今は履かないブーツとなりました。なぜそうなったのでしょうか?
長年履いたお気に入りのショートブーツ
このブーツは5年以上前に購入したもので、ソールを直しながら、冬の時期には最もよく履いた靴のうちの1つです。
2万円くらいした、私としては高額なブーツでした。
ただ、よく履いていたのは、独身時代です。出番がなくなったのは、夫に「変」「おばさんぽい」と言われたのがきっかけです。
つま先の部分が丸くなっているのが、「変」「おばさんぽい」という理由です。
こういうのって、単なる夫個人の好みの問題で、「そんなのは平気」と、履いてしまっても良かったのかも知れません。
それでも、他に履く靴がないわけではなかった中、ネガティブな印象がこびりついてしまったこのブーツを、チョイスすることは次第になくなりました。
そして、ついに、この冬、一度も履かずに終わりました。
ところで、この靴は、購入当初から、ちょっとした難点がありました。3E(スリーイー)で、幅がゆったりできています。
問題はこの点でした。私は2E(ツーイー)で、足の幅があまり広くないのです。買った時は夕方で、足がむくんで大きくなっていました。
それであまり気にならなかったのですが、日常的に履き始めたら、やはり靴の中で足が踊ってしまっていました。
そこでアレコレ考えて、ぶ厚い登山用の靴下を購入したのです。
一足1500円以上もした、登山用のソックスです。メイン素材がウールでフカフカで、とてもはき心地が良かったです。
この靴下を履くと、ユルすぎたブーツがピッタリになりました。それで、このブーツを履く時は、いつもこの靴下を着用していたのです。
何年も履いたのに、この靴下は全然ダメになりません。たまに毛玉ができても、簡単に手で取れるようなものです。
とてもモッタイナイという気持ちになりましたが、この靴下もブーツと一緒に処分することにしました。この靴下を履いた上で履ける靴が他に一足もないからです。
また、家の中で履くにしても、今のライフスタイルでは、薄手の靴下の方が良いのです。それで、手放すことにしました。
ブーツにしても、靴下にしても、個人的には大のお気に入りでした。手入れも良くしていたので、何年も履いたのに、今でも気持ちよく履けます。
個性的で、「私らしいな」と自分で思っていたブーツです。
処分を決めた理由
そんな靴を手放すのは、かなり迷いました。「夫に文句をつけられたから…」というだけでは、何だか「自分軸がない人」みたいに思えて情けなくもなります。
でも、これを手放すのは、やはり「個性的すぎる」ことと「夫から見て、変だ」というのが理由なのです。
このブーツは一人で履いている分には、何の問題もありませんでした。
でも、このデザイン、会う人を選ぶのは確かです。勤め先にもよく履いて行きましたが、個性的な服装をしてもOKな職場だったからです。
実はこのブーツ、夫と出会って間もない頃の多少気取ったデートの後、とてもカジュアルな場面で、「どんな反応をするだろうか?」と、恐る恐る履いてみたブーツでした。
そして、「この靴、変かな?」と聞いてみたこともありました。
最初のうちは「変じゃないよ。」と言ってくれました。それは夫が親切だったからだと思います。
それで「こういうのを履いても大丈夫な人なんだ」と、私が夫を決めつけて、普通に履くようになっていました。
でも、一年ほど経ってから、「変」だと言われたのです。次第に本音を言ってくれるようになった結果です。
夫と自分の服の好みの違いをどうするか問題
ところで、夫婦で服の好みが違う場合、どこまで相手の好みを受け入れるのが適当なものでしょうか?
全く受け入れず、好きなものを好きなように着るというところから、完全に相手の好みに合わせるところまで、色々なスタンスがあると思います。
その中間のどこかが良いのでしょうか?
私は、このブログでも、時々「夫に服に文句をつけられた話」を書いています。また、再婚して以来、悩みのタネの1つでもありました。
全く受け入れないのも独りよがり、全部相手に合わせるのもストレス。間をとって、「自分好み」「夫好み」に使い分けて服を増やすのも何だか違う気がします。
この問題、悩み続けていましたが、ふと本屋さんで手に取った本に、この問題の解決方法が書かれていました。
どっちの好みか中間かというモノサシではない、全く別の物の見方をする必要があるようです。
この件については、別の記事で書きたいと思いますが、私はそのうち、この問題を解決できるだろうと感じています。
最後の処分の決め手
それで結局のところ、色々と問題を抱えたこの靴でしたが、「今、この靴を持ってなくて、お金を出して買うかどうか?」と自分に問いかけてみました。
すると、「買わない」という答えが出てきました。
断捨離の場合、全てのモノにこの「買うかどうか?」の質問が適切かどうかはわかりませんが、今回の件では、適切だったような気がします。
理由はどうあれ「今の私は」「買わない」のです。そして理由はどうあれ「今の私は」「一度も履かなかった」のです。
無意識(潜在意識)を信じてみる
今は理由はハッキリしなくても、手放した後で、「そうか、やっぱり処分して正解だったのだ」とわかる時が来るような気がします。
私のアタマは未だ理解できなくとも、「買わない」「履かない」を選んでいる、自分の無意識(潜在意識)を信じてみようと思ったのです。
意外と正解を知っているのは、アタマよりも潜在意識だったりするものです。
それで、思い切って処分してみることにしたのです。
おわりに
処分してしばらくして、やはり処分して良かったな、と思っています。
そもそも最初からこのブーツは問題があったわけです。登山用の靴下を履かなければならないほど、ユルかったわけですから。
もともとサイズの合わない靴だったのです。登山用の靴下はグッドアイデアではありましたが、「登山用の靴下」という余分な物を増やすことにもなっていました。
また、履いた時に「登山用の靴下」を隠すために、スカートは履けず、ブーツカットのパンツばかりになるという、余分なシバリも作り出されていました。
処分して、何か一つ、「楽になった」「自由になった」と感じたのです。
ですから、「今は買わない」「今は履かない」ということは、「楽になりたい」「自由になりたい」ということだったに違いありません。