今日もまた、私の断捨離のバイブル、カレン・キングストンの本の中から、私の断捨離人生に大きな影響を与えた言葉について書きます。
その言葉というのは、「人生は体験を買うもの」というのです。実はこの言葉は、私なりの言葉に、脳内変換されてしまっています。ですから、本の通りに、ちょっと引用します。
お金とは、持たないためのもの。使うためのものです。お金を流通させるのは、基本的に体験を買うためです。…(中略)…そして人生を振り返って「神様、私はなんて多くのことを経験出来たのでしょう 」と言うのです。
この文章は、実はカレンの言葉でもありません。カレンが尊敬するという世界中を旅しているらしい人物が、お金について語ったものです。
それをサクッと私は「人生は体験を買うもの」と、自分で置換えて、何度も脳内リピートしていたのです。部屋の断捨離は、この言葉に後押しされて、どんどん進行していきました。
断捨離の失敗も、人生の体験のうちにすぎない
私は、前回の記事で、何度か引っ越しをし、最後にとても気に入った部屋に巡り会え、お気に入りの家具に買い替え、とても運が良くなったたという話を書きました。
その記事はコチラです↓
断捨離が一段落し、自分で「完了したな」と満足できたのは、この部屋が初めてでした。
ある意味、その部屋にたどりつくまでに住んだ部屋とか、捨てたり、買い替えたり、買い足したり、そしてまた捨てたり…というのは、全て失敗した断捨離だったとも言えます。
人がきけば、単なる「お金の無駄遣い」かも知れません。
でも、私は、失敗に終わったとしても、その体験は、私にとって必要なものだったと思っているんです。
「体験すること」が、大事だったのです。私は離婚したり失恋したり、ひとりぼっちが寂しくもありましたが、一方で「せっかく独身でいるのだから、結婚してからではできないことをしよう。再婚は、やりたいことをやり切ってからでもいい。」とも思っていました。
「引っ越し」と「断捨離」は海外旅行よりもエキサイティング
実を言うと、私は「部屋に住む」こと自体がとても好きです。「あんな部屋に住んでみたい」とか「部屋をこんな風にしてみたい」というアイデアがいくつかあったのです。
それで、セカンドシングル時代は、思う存分引っ越しをしました。
離婚直後の「当座しのぎ」で住んでしまった部屋も、「当座しのぎ」と言うにふさわしい、品質の悪さはあったものの、「ロフト付き」というのが気に入って借りたのです。
次に住んだ部屋は、一人では広い、2DKでした。この部屋でも、以前から憧れだったベッドを購入したり、ダイニングテーブルを購入したり、小さな4畳半は作家の書斎みたいにしてみたりしました。
この体験は、「大人のママゴト」みたいなものでした。自分の好き勝手に部屋をつくりあげるのが楽しくて、休日にもなれば、インテリアショップをめぐったりして、時間もお金も「住んでみたい部屋をつくりあげる」ということにつぎ込んでいました。
ところで、今、私は、「ロフト付き」の部屋にはもう住みたいとは思いません。この感覚は、失敗だったというよりも「気が済んだ」という感覚です。
私にとって、新しい部屋へ引っ越すことは、海外旅行に行くよりもエキサイティングなことでした。
海外旅行を例にとって言えば、「オーストラリアに行ってみたくて旅行に行ったけど、行ってしまったら、気が済んで、もう行きたいとは思わない。」という感じです。
こういう場合、「オーストラリアに行ったことは失敗だった」とは言わないでしょう。むしろ、「オーストラリアに行って来れて良かった」と思うのではないでしょうか。
私も同じことで、「ロフト付きの部屋に住むこと」は、「もう、一度住んでみたから、もう住みたいとは思わない」というだけのことで、ただ単に失敗だったというだけではないのです。
「ロフト付きの部屋に住むという体験ができて、楽しかった、良かった」という面もあったのです。それは、一見失敗に見える、あらゆる経験に関して同じことが言えます。
もしそこで下手に欲望を抑えてしまうと、「ロフト付きに部屋に住んでみたかった」という気持ちがいつまでも残っただろうと思います。
まとめ
「やってみるまで」「持ってみるまで」「捨ててみるまで」わからない、ということはあるものです。
その後の展開がどうなろうと、何かエキサイティングなものを感じるなら、「人生は体験を買うもの」という言葉に背中を押してもらって、「やってみちゃって」「持ってみちゃって」「捨ててみちゃって」も良いのではないでしょうか。
例え後で失敗だったとわかったとしても、きっと、体験できたことが良かったんだと思うハズです。