私が断捨離や片づけにハマった一番の理由について書きます。
「私が汚部屋から脱出するまで」のシリーズ第13弾です。
私の人生最初の断捨離は2002年、18年前の35歳の時で、バツイチの私にとっての最初の結婚生活の最中(末期)でした。
風水の本を読んだことがきっかけでした。
断捨離という言葉自体は、ウィキペディアによると、2009年に、やましたひでこさんの『新・片付け術 断捨離』が出版され、ヒットしたことで広まったとのこと。
ですから、それより7年も前に始めた、私の片づけを断捨離と言うのはどうかとも思うのですが、やっていることは同じようなものですし、一般によく使われていて、わかりやすいので、「断捨離」という言葉を使います。
それではその理由について書きますね。
私が断捨離や片づけにハマった一番の理由とは?
私が断捨離や片づけにハマった一番の理由は、ひとことで言えば、鬱が治るからです。
私は、別の記事でも書いていますが、毒親育ちで、若い頃から鬱っぽかったのです。特に中学生くらいから、毎日ドンヨリとした中で過ごしていました。
鬱病と診断されたことはありませんが、それは私が心療内科など医者に行かなかっただけかも知れません。
小学生の頃は何も悩みがなく幸せだったなあという印象ですが、中学生くらいから何だかやたら悩んでばかりいるようになりました。
朝目覚めるとすでに不安で、人間関係に自信がなく、常にネガティブな気分で生きていました。
それで、この自分のわけのわからない不安な状態をどうにかしようとして、色々なことをしました。
性格を直す通信教育みたいなのをやったり、心理学や自己啓発の本を読んだり、自己啓発セミナーに行ったこともありました。
でも、どれもこれも、大して役に立たなかったというか、本を読んだ直後は元気になっても、すぐに戻ってしまったり、本を読むとむしろ暗い気分が増してしまうことも多かったです。
ところが、断捨離は違ったのです。
風水の本がきっかけで始めたと書きましたが、さらにその前のきっかけというのは、「元夫が家に帰ってこなくなり、元夫の居場所をつくるために汚部屋を片付けるのが良かろう。」と思ったのです。
自分の鬱的な気持ちをどうにかしようと思って始めたわけではありませんでした。
それにも関わらず、部屋を片付けると、それまで味わったことのない、スッキリした気持ち、ポジティブで明るい気持ちというのが湧き上がってきて、それが持続するのです。
心に立ちこめていたネガティブという暗雲が去り、雲間から後ろにある青々とした青空がどこまでも広がっているかのような気分でした。
上の写真は、私がこのブログのプロフィール用のアイコンとして使っているものですが、まさにこんな晴れやかな気持ちです。
上の写真には雲が映っているのでちょっとアレですが、「一点の曇りもない心」みたいなものが見えたような気がしました。
そして、「今まで私はネガティブ人間だと思っていたけど、本当の私は、その後ろにある、青空のような存在なのかも知れない。」と思い、希望がわいてきたのです。
そして、「これからは、本当に好きなことだけして生きよう!」と思いました。
ガラクタがたまると鬱になることがある。
私は、最初の断捨離の後、カレン・キングストンの『ガラクタ捨てれば自分が見える』という本に出会います。
この本から引用します。
気分が鬱になる
「ガラクタ」の鬱積したエネルギーは、あなたのエネルギーを奪い取って落ちこませることもあります。実際の話、鬱状態の人で身辺に「ガラクタ」が積み重なっていない人物にはまだ会ったことがありません。
私は、この部分を読んで、「なるほどなー」と、思ったものです。
この引用は、カレンの本の「「ガラクタ」の与える影響」の章の一部です。ガラクタがあるからといって、全ての人が鬱になるわけではありません。
ガラクタの悪影響は他にも色々列挙されています。例えば「人生の展開が遅くなる」とか、「不調和が起きる」とか、「超過荷物になる」とか。
「持っていると、疲労感をおぼえ、無気力になる。」というのもあります。
私は、自分が最初に汚部屋を脱出したあと、なぜあんなに気持ちがスッキリして、ポジティブで明るい気持ちになったのか、理由がわかったような気がしました。
応援に感謝してます♡
おわりに
今回は、私が断捨離や片づけにハマった一番の理由について書きました。
断捨離を通じて、鬱が治り、生まれて初めて「ポジティブな心」というものの感触を知ったのです。
人生は色々なことが起こります。また、長年の自分の心のクセなどは、それほど簡単に治るものではありません。
ですから、この後もまた汚部屋になったり片付けたりを繰り返し、人生の浮き沈みも繰り返していきました。再び鬱状態になったこともあります。
ですが、人生初めて「ポジティブな心」というものを見せてくれた最初の断捨離は、私の人生の大きな転機となったのです。