晴れやかブログ

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【結論】位牌(霊爾)を処分する前に知って欲しいこと。その3: わたしが霊爾(れいじ)の処分をやめた3つの理由。

昨日にひきつづき、位牌(霊爾)を処分する前に知って欲しいことというタイトルで書きますが、今回で最終回。クライマックスと結論です。

わたしは、今の時点で両親の位牌(霊爾)を処分するのはやめ、持っていることにしました

このいきさつを3回にわけて書いてきました。最終回の今回は、やはり両親の霊爾(れいじ)の処分はやめて持っていることにした3つの理由を書きまます。

ちなみに霊爾(れいじ)というのは、神道(しんとう)のもので、仏教の位牌にあたるものです。

3つの理由のうち、一番お伝えしたいのは理由2の神主さんのお話の内容です。記事が長くなったので、お時間のない方は、理由2だけ読んでくださいね。

それでは、その理由を書きますね。

 

わたしが霊爾(れいじ)の処分をやめた3つの理由。

それでは、本題です。理由は3つあります。

1. 両親の霊爾(れいじ)は「良い気(エネルギー)」を与えてくれているから。

2. 神主さんから聞いた、かつての位牌や霊爾(れいじ)の話に感銘を受けたから。

3. 両親はわたしのルーツで、霊爾(れいじ)を処分するのがとてもツライから。

それでは、詳しく書きますね。

理由1. 両親の霊爾(れいじ)は「良い気(エネルギー)」を与えてくれているから。

1つ目の理由は、ちょっとマユツバです。こういう話が苦手な方は、スルーしてください。 

昨日の記事に書きましたが、「同じ仏壇に違う姓の位牌があるのはNG」という「常識(?)」みたいなものを、夫が気にしていることがわかり、わたしは、両親の霊爾(れいじ)の処分を決意しました。

ちなみに、昨日の記事はコチラです。↓

位牌(霊爾)を処分する前に知って欲しいこと。その2: わたしがいったん、霊爾(れいじ)を処分しようと思った6つの理由。 - 晴れやかブログ

その時、前妻さんの位牌は、リビングのキャビネットの最上段のオープンスペースに、わたしの両親の霊爾(れいじ)は同じキャビネットの引出しの中に、見えないように入れてありました。

「同じ仏壇に違う姓の位牌があるのはNG」というからには、処分する以前に、同じ家具に入れておかない方が良いと思って、わたしは別の場所に移動しました。

わたしが使っているウォークインクローゼットの中に移動しました。

ところが、両親の霊爾(れいじ)を移動した次の日の朝、実に奇妙なことが起こったのです。

前妻さんの位牌の前には、一ヵ月ほど前から夫が供えていたラベンダーの花束が、小さなガラスのグラスに入って置かれていました。

夫はガーデニングが趣味で、ベランダ菜園をやっており、前妻さんが好きだったというラベンダーも育てていました。それを供えてあったのです。

奇妙なことというのは、そのラベンダーの花束です。一ヵ月もきれいに供えられていたのに、両親の霊爾(れいじ)を移動した次の日、花がボロボロにくずれて、朽ちてしまっていたのです。

ラベンダーは、生花として摘み取った後でも、ドライフラワーになって長くもつのが普通です。

でも、それが一晩でボロボロにくずれて朽ち果ててしまったのです。

わたしは、(勝手な思い込みですが)、両親の霊爾(れいじ)を移動したからだと思いました。後で夫に話すと、「ラベンダーに虫がいたからそのせいだと思う。」と夫は言っていました。

ラベンダーがボロボロになるという不思議現象を見て、わたしは、両親の霊爾(れいじ)は処分しない方がいいと思ったのです。

処分するのをためらう気持ちが湧いてきて、一週間、あらためて悩みました。

それで、まず、神主さんに、お炊き上げを依頼するのではなく、どうしたら良いか相談してみるのも悪くないと思いつき、やっと神主さんに電話をかけました。

理由2. 神主さんから聞いた、かつての位牌や霊爾(れいじ)の話に感銘を受けたから。

わたしは、神主さんに電話をかけて、両親の霊爾(れいじ)の処分を考えているのだということと、その理由として「同じ仏壇に違う姓の位牌があるのは良くないそうなので。」と言いました。

すると、神主さんが思いがけないことを言いはじめたのです。

変なこと言う人がいるからね。」というのが第一声でした。それから神主さんは、「自分はそういう考え方の方がオカシイと思う。」とおっしゃって、以下のような話をして下さいました。

現在は、位牌や霊爾(れいじ)を、1つしか作らない家が増えているけど、昔は、親が死ぬと、位牌や霊爾(れいじ)は、子供の数だけ作ったものだというのです。

そして、お嫁に行けば、親の位牌は持たせて、嫁ぎ先の仏壇に一緒に入れたものだそうです。ですから、昔は、1つの仏壇に、苗字の違う位牌や霊爾(れいじ)が入っているのが普通だったというのです(仏教でも神道でも)。

嫁入りしたお嫁さんや、その前の代に嫁いで来たお姑さんの両親など、苗字が違うのは当たり前で、苗字の違うご先祖様たちがみんな仲良く1つの仏壇に収まっていたのだそうです。

これってとても素敵な考え方だと思いませんか?

わたしは、話を聞いていて、とても暖かい、優しい、親切なエネルギーに包み込まれるような感じがし、思わず涙が溢れてきたほどです。

わたしや夫などが正しいと信じ込んでいた「同じ仏壇に違う姓の位牌があるのはNG」という「常識(?)」が、音を立ててくずれていく感じがしました。

「同じ仏壇に違う姓の位牌があるのはNG」なんていう考え方は、一体どこの誰が言い出したのか知りませんが、特に結婚した女性に対して冷酷非常な考え方だと言わざるを得ません。

こんなことをまるで「常識」として信じられているということに、改めてゾッとします。

わたしは、神主さんに、夫の「死」というものへのトラウマの話などもしたので、「事情が事情なら、お炊き上げはします。」とのことでしたが、「少し考えて改めてご連絡します。」と言って電話を切りました。

実は、この神主さんの話こそ、わたしが「位牌(霊爾)を処分する前に知って欲しいこと」そのものなんです。

「同じ仏壇に違う姓の位牌があるのはNG」という変な常識を、正しい常識として信じ込んで大切な親の位牌や霊爾(れいじ)を処分してしまう女性がいてはならないと思いました。

それでブログに、この話を書くことにしたのです。

理由3. 両親はわたしのルーツで、霊爾(れいじ)を処分するのがとてもツライから。

3つ目の理由も、神主さんのお話がきっかけでした。「位牌や霊爾(れいじ)がないと、自分がどこの誰だかわからなくなる。」という主旨のことを聞きました。

以下はわたしの解釈ですが、「自分はこの父とこの母から生まれてきたのだ。」というのが、昔の人の自分自身の証明だったようなのです。

現在は、戸籍謄本や住民票、運転免許証、健康保険証など、自分自身を証明するものはたくさんあります。

昔は、両親の位牌や霊爾(れいじ)がその役割も果たしていたのではないかと思われるのです。

ですから、各種証明書が存在する現在、確かに位牌や霊爾(れいじ)は実質的には不要になりました。

でも、わたしは、霊爾(れいじ)は、自分のルーツを象徴しているからこそ、処分するのがツライのだとわかったのです。

両親の霊爾(れいじ)を処分するということは、まるで自分の存在を否定してしまうように感じたのです。

断捨離で、捨ててはいけないというか、捨てないほうが良いものがあります。それは、以下の3つです。

・生活必需品など、生きていくのに必要なもの

・自分にポジティブなエネルギーを与えてくれるもの

・なくなるとツライもの

両親の霊爾(れいじ)は、特に「なくなるとツライもの」に該当したのです。

夫と話して霊爾(れいじ)をとっておくことに。

わたしは、神主さんと電話をしたその日の夜、夫に神主さんが言っていたことを話しました。

そして、「同じ仏壇に違う姓の位牌があるのはNG」というのは、どこかの誰かが言い出した「変なこと」であることを夫に話しました

夫は最初「そういう考えの流派なんだ。」と言っていましたが、話すうちに、夫の気持ちも変化していくのを感じました。

そして、わたしは、「霊爾(れいじ)は処分したくない! だって、わたしのルーツなんだもん。」と訴えました。

夫は「俺は、処分しろなんて一言も言ってない。」と言いました。実際そのとおりでした。夫は目にするのは嫌がっていましたが、処分しろとは言っていませんでした。

それから、ラベンダーがボロボロにくずれた日に、実は両親の霊爾(れいじ)をクローゼットに移動した話もし、霊爾(れいじ)が良い気を放っているに違いないということも言いました。

夫は持っていていいと言ってくれました。ただ、やはり、目につかないようにして欲しいと言われたので、置き場所を検討しました。

いくら夫の目につかないところでも、クローゼットというのは、物置なので、そんなところでは両親が可哀想だと思いました。

それで、リビングのある場所に霊爾(れいじ)を置くのを思いつきました。その場所に置くと、両親もかわいそうではなく、夫の目にもつかず、お互い快適なのではないかと思いました。

夫にそれを提案すると、了解してくれました。

これでひとまず、わたしの両親の霊爾(れいじ)問題は一件落着となりました。

お参りは1つだけ

また、前妻さんに代表して1つだけお参りすれば、両親にも同時にお参りしたことにします。

「苗字の違うご先祖様たちがみんな仲良く1つの仏壇に収まっていた」という状態なら、お参りは1つで(夫の方のやり方で)十分だからです。その方がラクでもあります。

また、夫が前妻さんにお参りをするということは、同時にわたしの両親にもしてくれているのだということでもあります。

「わたしの両親にしてくれない。」なんて、思ったこと、反省しています。

あるから悩む

一方、霊爾(れいじ)が存在したからこそ悩みが発生したという面もあります。わたしは、今の自分なら、霊爾(れいじ)を最初から作らないようにしてもらったと思います。

作ってしまった以上、これも何かの縁ですから、大切にしたいとは思っていますが、現在の、位牌や霊爾(れいじ)は1つしか作らないとか、位牌のたぐいは全く作らないという流れも一理あるかと思います。

現在は、盛大な葬儀はしないで家族葬にするなど、お葬式自体も簡略化される風潮もあります。このことは、周囲の人の負担を減らすなど、良い面もあるかと思います。

まだご両親や親しい方の死に遭遇されてない方は、位牌や霊爾(れいじ)は作らないという選択肢もあるのだということをお伝えしたいと思います。

わたしの夫のような「位牌には何の意味も無い、ただの物体だ。」という考えも、それはそれで事実だと思うからです。

霊爾(れいじ)の処分は遠い将来

それにしても、やはりわたしには子供もいませんので、終活のことを考えると、いずれは処分しようと思っています。

今は、まだ両親が亡くなってから年月が浅いという感じがします。自分で「もういいかな」と思えるまでとっておき、そのときは、お炊き上げをしてもらおうと思っています。

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おわりに

もし、位牌や霊爾(れいじ)の処分を検討していて、「同じ仏壇に違う姓の位牌があるのはNG」という常識にとらわれているのなら、その考えこそ「変な考え」なのだという考え方もあるのだと、知って欲しいと思い、この長ったらしい記事を書きました。

何か変なものを信じ込んでいると苦しくなります。常識だと思い込んでいたものに苦しめられていることもあるのです。

わたしが聞いた神主さんの話が、必ずしも正解ではないかも知れません。

でも、わたしたちは、皆、それぞれ、自分や周りの人が幸せになれる考え方を好きなように選んで良いのだと思います。

わたしは「苗字の違うご先祖様たちがみんな仲良く1つの仏壇に収まっていた」という、昔の仏壇の話が好きです。何だかとても、気持ちがほぐれるからです。

もっと言えば、違うのは苗字だけではなく、仏教の位牌でも、神道の霊爾でも、遺影だけでも、宗教に関係なく、一緒に祀ってしまえば良いのではないでしょうか?

(実際、わたしの実家では、かつて、両親はそのようにしていたのです。)