買いだめのしすぎはかえってお金がかかってしまうという体験をしたので、その理由を書きます。
多すぎるストックはお金がかかり、無駄遣いにつながってしまいます。
それでは私が買いだめしすぎて無駄遣いしたものをご紹介しつつ、お金がかかる理由を書きます。
買いだめしすぎて無駄遣いしたもの
以下が、買いだめしすぎて無駄遣いしたものです。↓
これは、ドクターブロナーのマジックソープという液体石鹸です。愛用されている方も多いかと思います。
メイクも落とせるということで、洗浄力は強いです。
この液体石鹸は、香り違いで11種類あります。
ローズを主に使っていましたが、この色々な色に妙にワクワクするので、「いつか全種類試してみたい」なんて思っていました。
そしてたまたま、2年ほど前、アマゾンで11種類セットで売られているのを発見し、買ってしまったんです。
(今はこのセットは売られていません。)
普通は、237mlで、1本1000円以上もするので、11種類で¥7,480というのはかなりお得でした。
¥4,000以上もお得!
だったハズでした。
1本1000円以上もするこの石鹸、私としては貴重で贅沢な石鹸でした。かつては、1日2回、朝晩の顔を洗うときだけ使っていました。
このペースで使うと、1年まではいかないけど、まあ1年に近いくらいは長持ちします。
それで、全11種類購入した当初は
「これで10年買わないで済む」ハズでした。
ところが…
ところが、購入してからまだ2年経っていませんが、もう2本しか残っていません!
ちなみに、以下は最近捨てた空のボトルです。↓
使い切って捨てたのは良いんですが、もう未開封のものは1本もなく、開封したものが、自宅とセカンドハウスそれぞれ1本ずつ、合計2本のこっているだけです。
以前は一年に1本しか使わなかったのに、この2年の消費を考えると、一年で5本も使ったことになります。
!
10年で4000円の節約のハズが、2年で5000円の過剰出費となってしまったんです!
一体なんでこんなことになったんでしょうか?
買いだめの「しすぎ」は、かえってお金がかかる理由3つ
その理由は、主に3つあります。
たくさんあると大事にしなくなる。
1つ目の理由は、「たくさんあると思うとどんどん使ってしまう」ということです。以前はチマチマと洗顔だけに使っていました。
でも今は、ハンドソープにしたり、掃除や洗濯にも使ったり、これが一概に悪いとは言えませんが、総じて「あまり大事にしなくなった」と言えます。
かつては1本ずつ買っていて、「いつか全種類使ってみたい」なんて、憧れでもありました。
それが、一旦買ってしまうと、妙に満足してしまったのと、11種類の中には、あまり好きではない香りのものもあり、そうなると、「どんどん使い切って無くしてしまいたい」という意識も働き、どんどん使ってしまうのです。
飽きる:自分自身が変化する
2つ目の理由は、「飽きる」ということです。
11種類購入して、とても満足しました。
それで、満足の次って、たいては「飽き」がやってきます。
それに、別の石鹸を試してみたくなったりもしました。
自分自身も変化します。
50代を過ぎて、かつて脂性で悩んでいたところ、落ち着いてきたりもします。人によってはますます乾燥して困ったりすることもあるでしょう。
飽きたり変化したり、そのこと自体は悪いことではありません。
ただ、そこでストックが多すぎると、変化に対応できなくなってしまうんですね。
それで、どんどん使い切ろうと頑張ったりして、捨てるよりはまだマシですが、結局捨てているのと同じくらいのモッタイナイ使い方になってしまうのです。
その上、飽きたわけだから、他の石鹸も買っていたりして、余分なお金はかさむわけです。
ものも変化する
3つ目の理由は、もの自体も変化するということです。
「10年買わないで済む」と思っての買いだめでした。
でも、そもそも10年後に、石鹸自体の品質が保ったまま残るのかどうかという消費期限的な問題もありました。
例えチマチマ使ったとしても、経年劣化というものがあれば、途中で捨てざるを得ません。そうするとそこでお金をドブに捨てることになってしまいます。
石鹸自体はある程度長持ちするものではありますが、ストックに10年分というのは長過ぎだと思いました。
我ながら、アホか!? みたいな…。
買いだめの「しすぎ」には注意したいものです。
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おわりに
買いだめの「しすぎ」は、かえってお金がかかる3つの理由について書きました。
ただ、「11種類全部使ってみたい!!」という欲求自体を満足させられたのは良かったことです。
とても気が済みました。
この記事では「多すぎるストックはお金がかかるのだ」ということに焦点を当てて書きましたが、反省しつつも、私にとっては「いつかやりたかった」必要な無駄だったとも言えます。