晴れやかブログ

元ミニマリスト、パーソナルカラーオタク。「捨て活」も「買い活」もエネルギーの循環。断捨離は呼吸。

日記を捨てることで手放したものとは?(私が汚部屋から脱出するまで3)

人生初めての断捨離で、日記捨てたことについて書きます。

「私が汚部屋から脱出するまで」のシリーズ第3弾です。

私の人生はじめての断捨離は、2002年、18年前の35歳の時です。まだ最初の結婚の最中でした。

断捨離のコンセプトは、「帰ってこなくなってしまった夫(元夫)の居場所作り」で、真っ先に処分したのは、夫が普通に椅子に座れる程度の本でした

そして、次に処分したのが日記でした。

 

捨てた日記について。

私は子供の頃から日記を書くのが好きでした。日記といっても、日付の入っているものではなく、けい線だけが入っているような、日記帳で、無地のものもありました。

日記帳のデザインやサイズはバラバラで、一冊書き終わりそうになると新しいのを買ってくるのですが、文房具屋や雑貨屋などで、次に使うお気に入りを選ぶのも楽しみの1つでした。

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毎日起こったことをキチンと書くということに興味はなく、書きたい時に書きたいだけ書くという自由なスタイルでした。

このように書きためたノートを、高校卒業した直後、一度全部捨てたことがあります。その時は、過去に決別するような気持ちで、実家の裏庭の焼却炉で燃やしました。

現在は燃やすことは禁じられていますが、当時はまだ家でゴミを燃やしていたのです。

それからしばらくして、20歳ころからまた日記を書き始めました。私の人生最初の断捨離は35歳なので、処分したのは15年間書きためた日記帳だということです。

背表紙のある分厚い日記帳が15〜16冊くらいありました。

ネガティブワード満載の日記。

私が日記を書きたくなるのは、ネガティブな気分のときでした。

腹の立つことがあったときや、気分が落ち込んだとき、悩んだときなど、自分の気持ちを吐き出したり整理するために書いていました。

テーマは、人間関係の悩みが殆どです。結婚以前は恋愛のことなど、結婚してからは、主に義母の悪口となっていました。

そういうわけで、私の15年間の日記は、ネガティブワードが満載。悩み、愚痴、悪口、怒り、悲しみなどばかりでした。

私は、それでもわりと自分の日記を読み返すのも好きで、ときどき読み返していました。

「いつも同じことで悩んでいるなー、成長してないなー。」などと思いつつも、懐かしいメランコリックな気持ちに浸ったり、時には再び怒りや悲しみを再燃させたりしていました。

こういうのって、自虐的で暗い趣味だと思われるかも知れませんが、実はそうでもありません。

やけに暗い気分になってしまう本や映画の作品がありますが、暗さゆえのストーリーを楽しみたくて読んだり見たりするわけです。それと似たようなものです。

意外とこういうことは誰でもやっていたりします。「泣ける映画が見たくなる。」というのは、これに近い心理です。ミステリー好き、ホラー好きな人もたくさんいますよね。

私は、そんな15〜16冊の日記をまとめて1つのカギ付きの木箱に入れて保管していました。カギはとっくに紛失していて、実際にカギはかかっていませんでしたが。

元夫は、私の日記について、「怖くて読めない。」と恐れていましたので、元夫は読むことはありませんでした。

日記を捨てた理由。

そんな愛着のある日記でしたが、日記を捨てたのも風水の本の言葉がきっかけでした。

昨日の記事で、最初の断捨離を始めたのは、「旦那さんは、自分の居場所がないと帰って来なくなる。」という風水の本からの言葉だったと書きました。

ちなみに昨日の記事はこちらです。↓

汚部屋からの脱出のきっかけ。価値観を180度変えた出来事(私が汚部屋から脱出するまで2)。

今回日記を捨てるきっかけになった言葉は、だいたい以下のような主旨でした。↓

「ネガティブなことが書いてある日記は、捨てた方が良い。言霊(ことだま)の力(ちから)が作用して、ネガティブな言葉がネガティブな現実を作るからだ。」

これを読んだとき、腰が抜けるほど驚きました。暗い話大好き人間でしたが、「そんなのんきなことをやってる場合じゃないぞ!」と思ったのです。

「ネガティブな言葉がネガティブな現実を作る。」

ネガティブな言葉が満載の日記帳、そして、夫が帰ってこなくなるというネガティブな現実!

「これは大変なことだ!」

「こんなものがあってはならない!」

と、私は尻に火がついたように、日記帳の処分に着手したのです。捨てようかどうしようかなんていう悩みや、もったいない等という気持ちは一切ありませんでした。

100%、「捨て」の一択でした。

日記を捨てることで手放したものとは?

私が過去15年間の日記を処分することで手放したものというのは、ネガティブな言葉でした。

私の日記がネガティブワード満載だったのは、自分の人生がネガティブだったからだと思い込んでいましたが、案外、日記がネガティブだからこそ人生もネガティブになっていたかも知れないと思いました。

ネガティブな現実が先か、ネガティブな日記が先か。

タマゴが先か、ニワトリが先か。

どちらがどうだかわかりませんが、日記を捨てることで、私は自分の心の中のネガティブの多くを手放すことができたのは確かです。

実はこの人生最初の断捨離、数カ月かけたのですが、結果としてものすごくスッキリしたのです。

「ポジティブな気持ちというのはこういうものだったのか!」と、人生初めて「ポジティブな気持ち」というものに出会えましたが、日記を捨てたことは、「ポジティブな気持ち」に出会うための大きな要因になっていたと思っています。

多少後悔したとすれば、もっとずっと後になってからです。「あの日記はあっても良かったなあ。」なんて思うこともありました。

ネガティブだったとはいえ、自分の一部を自己否定したかのような痛みを伴う気持ちになり、ちょっと苦しんだこともありました。

でも、それこそ、「捨てたものは元カレみたいなもの。後悔はあって当たり前、イチイチ振り返ってもしょうがない。」だと今は思っています。

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おわりに

18年前の当時、私は元夫と、45㎡の古い賃貸マンションに住んでいました。このような環境では、日記を燃やすことはできません。

また、当時シュレッダーのような便利なものは持っていませんでした。

カッターとカッター台、ハサミなどを利用して、シュレッダーを使ったのと同じようになるように、細かく切り刻んで捨てました。文章として読めない程度の細かさです。

ですから、時間はとてもかかりました。

何日もかかりましたが、帰ってこない夫を待ちわび、なおかつ失業中だったため、時間はたっぷりありました。

そして、朝起きると、その日の「最も優先順位の高い、最重要な仕事」として黙々と取り組んだのです。

とても充実した気持ちだったことも記憶しています。

この続きは以下の記事です。↓

夫の居場所づくりのための断捨離の実践1。(私が汚部屋から脱出するまで4)