晴れやかブログ

元ミニマリスト、パーソナルカラーオタク。「捨て活」も「買い活」もエネルギーの循環。断捨離は呼吸。

「断捨離ブログ」「片付けブログ」であることは、1つの目標です。

当「晴れやかブログ」は、「断捨離ブログ片付けブログである」ということが、ブログの一つの目標です。

そこで、今日は断捨離や片付けと私の関わりについて少し書いてみたいと思います。

 

断捨離・片付けとの出会い。

掃除、整理整頓など面倒で仕方なかった頃の私は、当然の成り行きで汚部屋に暮らしていました。

私は今50代のアラフィフですが、そんな私が、ある日突然「断捨離・片付け」にハマりました。

30代半ばくらいのことで、まだ断捨離という言葉が流行する前のことです。

後で振り返って、「私がやっていたことは、まさに断捨離だった」と思ったので、このブログでも断捨離という言葉は使っていくことにします。

ところで、人生最初の断捨離を行った後、妙にスッキリし、それまでの人生で感じたことがないような、何とも言えない爽やかさを味わったのです。

その爽やかさのおかげで、私は自分の人生に断捨離を取り入れるようになりました。

私の断捨離の特徴。

私の断捨離には特徴がありますので、書いておこうと思います。

私の断捨離は、「比較的短期間でイッキに終わらせ、終わったらしばらくは断捨離に興味を失い、断捨離から離れる」という特徴があります。

いったん片付けたら、部屋をキレイにキープしようと、掃除や整理整頓を習慣化するという人も多いですが、私はあまりそういうタイプではありません。

断捨離を終えたらやめる。

そしてまた部屋が汚れたり物が増えたりしたら断捨離に火がつく。

というのが、基本的な私のスタイルです。

断捨離を終えるサインは「満足したかどうか」です。

「もう良いな。」と思ったらそこでやめます。

でも、このような数回に渡る大掛かりな断捨離を繰り返していくと、不思議なもので、汚れ具合は減っていきます。

ですから、断捨離をしない時期でも全体的に部屋がキレイな状態というのは、次第に底上げされていきました。

断捨離とは部屋の呼吸みたいなもの。

私は、断捨離とは部屋の呼吸みたいなものだと考えています。

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呼吸ですから、吸ったら吐かなければなりません。

この、「吐く」というのが断捨離をしている時です。

そして、吐いたらまた吸うのが自然のなりゆきです。

ですから、物を捨てたらまた何か別の物が入ってくるというのが自然な流れだと思っています。

私がこの考えに至ったのは、カレン・キングストンの『ガラクタ捨てれば自分が見える』という本の影響が大きいです。

自分の人生にとって不要なもの「ガラクタ」を捨てたら、「何か新しいものが入ってくる」というイメージです。

私は人生に行き詰まりを感じた時に、ガラクタを捨てることで、何か新鮮な新しい、これからの自分の人生に必要な「何か」が欲しくてガラクタ処分をしていたとも言えます。

ですから私は「物を減らすこと」にあまり興味がなかったのです。

私がガラクタを捨てる理由は「新しい何かが欲しかったから」なのですから。

ガラクタも「新しい何か」も物体とは限らない。

でも、ここで一つお伝えしたいことがあります。

それは、ガラクタも「新しい何か」も、いわゆる「物」であるとは限らないということです。

実際に物が入って来たこともあります。

でも、それまでの私の人生に登場しなかった、様々な「新しい考え」など、概念的なものが入ってくることも多かったです。

また、失業中にガラクタ処分をすると、「新しい仕事」がやってきたりもしました。

「新しい出会い」ということもあります。

それで、面白くなって、たまに人生に行き詰まりを感じた時に「ガラクタを処分する」ということがやめられなくなってしまったのです。

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おわりに

「断捨離ブログ」「片付けブログ」であることは、1つの目標です、というタイトルで、私の「断捨離や片付け」に関する思想みたいなものを書きました。

捨てすぎて失敗したこともありましたし、掃除や整理整頓のような普段の家事はあまりマメな方ではありません。

ですが、総じて私は「断捨離や片付け」に好感と必要性を感じています。