「悩みを作り出す理由:したいことをするため」というタイトルで書きます。
最近、ふと、自分の心について得た「気づき」で、ひとりごとのようなものですが、これに気づいた時は、「笑っちゃいました。」
したいことをするために悩みを作っていた。
私は、自分で、したいことをするために悩みを作り出していることに気づきました。
例えば、以前、料理教室に行きました。
「料理が上手になりたい。」という自分の欲求があったからなんですが、私はこの自分の欲求を素直に肯定できず、「夫が毎日のように私の料理に文句をつける」という悩みを作り出していました。
また、私は、以前、「パーソナルカラー診断を受けてみたい」という好奇心にかられました。
この自分の欲求をそのまま受け取って、受ければいいだけだったのに、ここでも私は、「夫が毎日のように私の服の色に文句をつける」という悩みを作り出していました。
自分の欲求を素直に肯定していれば、理由なんて要らない。
「料理上手になりたい」「パーソナルカラー診断を受けてみたい」だけで十分だったのです。
私は、以前、インナーチャイルドワーク取り組む中、カウンセラーさんに言われた言葉で、「自分の欲求は全て正しい」というのをきいて
「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
(まじビックリ〜!)
というほど驚きました。
それこそ、天と地がひっくり返るほどのパラダイムシフト(=価値観の劇的な変化)が起こったのです。
最近私は、「こんな服が欲しい」という欲求を持っています。
欲求が正しいと心から思えれば、ただそうすれば良いだけです。
でも再び夫の口から服の文句が聞こえてきました。
多分、私は、欲求を正当化したいがために、夫の文句を利用して、悩んでいるフリをしただけです。
自分の欲求を満たすために都合のいい情報ばかり拾ったわけです。
自分、面白すぎだと思い、何だか笑ってしまいました。
幼児が、親に注目して欲しくて、わざとおもらしをして「お母さん、見て見て!」とやるのに似ています。
子供時代の思い出。
こういうのって、過去に原因はあるにはあります。
やはり、私は、子供時代、自分の欲求を親に否定されたりした事で、欲求を出すことへの恐怖心があるのだろうと思います。
それで、子供時代の私を振り返ってみると、自分の欲求を満たすために、「究極的に困る」という手段を使っていたことに気づきます。
例えば、靴下が使い物にならなくなるほど穴があいても「靴下を買って欲しい」と言えませんでした。
そんな時は、本気でボロボロになるのを親が見つけて「これは買ってあげなければ」と感じるまで待っていたりしました。
私の親は、私が究極的に困ると手を貸してくれたのです。
それで無意識のうちに「究極的に困れば欲求が通せる」とインプットしてしまったようです。
欲求が通る=究極的に困る
なわけですから、何かしたいことがあるときに、それをするために、私には大きな悩みが必要だったのです。
でも、欲求は欲求のまま通れば、究極的な悩みなんて必要ないのです。
ただ「こうしたい」と言えば良かったんです。
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おわりに
私は、もし何かモヤモヤと悩んだら、その背景で「自分のしたいことは何か?」自問自答する必要があるとますます思いました。
以前自分でもブログに書きました。↓
それで「自分はどうしたいの?」という魔法の質問(自分で自分の親になる方法2)。
三つ子の魂百までという諺にあるように、幼少期に刻まれた自分の心のクセは、なかなか手強いものがありますが、根気良く「気づいたら手放す」をやっていきたいと思っているところです。
そして、「したいことは、したいからする」と、シンプルにやっていきたいです。