晴れやかブログ

元ミニマリスト、パーソナルカラーオタク。「捨て活」も「買い活」もエネルギーの循環。断捨離は呼吸。

靴下の捨て時はいつ? 擦り切れて穴があくまで履くのが本望。

靴下捨て時について再考しています。靴下の捨て基準に関する記事は、以前にも何度か書いていますが、今ふたたび考えてみました。

というのは、「毛玉のついた靴下は捨てる」「色素沈着した靴下は捨てる」などと決めたのにもかかわらず、現在のわたしは、そのような靴下を履き続けているからです。

なぜそのようなことになっているのでしょうか? 結論から言えば、靴下は、本来、擦り切れて大きな穴があき、使い物にならなくなるまで履くのが良いと、わたしが思っているからです。

それでは詳しく書きますね。

 

靴下の数が少ないと、靴下を大切にする。

昨日は、靴下の数について書きましたが、靴下の数が少ないと、1つ1つの靴下を大切にしようと思うものです。

毛玉がついていたとしても、普段は全く問題ありません。色素沈着したものは、アルカリ性の石けんで時々手洗いすると、そこそこキレイになり、また履けます。

子供の頃は、穴があいたら、糸で縫っていた。

わたしは、子供の頃は、靴下は穴があいたら、糸で縫っていました。学校に履いていく、白い綿素材の靴下でした。

ワンポイント刺繍などをして楽しんでもいたので、そもそも、裁縫が好きだったのですね。それに、白い綿素材の靴下ならば、家にあった白い糸を使えば、そこそこキレイに穴をふさぐことができました。

わたしは、自分の性質として、もともと「使い倒す」というのが好きなんですね。穴があいても、親に「買って」と言う前に修理して靴下を履いていたのです。

友達の家に遊びに行った時、そんな靴下を履いていて、友達のお母さんに褒められたことがありました。「そらちゃんは、穴があいたのでもつくろって履いているよ。」と。

どうやら友達が、新しいものを何でも買って欲しがるのをたしなめたようなのです。

また、わたしは、自分で穴を補修した靴下を、人前で履いても恥ずかしいとは思っていなかったのです。

穴のあいた靴下をそのまま履いていたら、履き心地は悪いですし。だらしなく、恥ずかしいかも知れませんが、補修してあれば恥ずかしいことではありません(時と場合にもよりますが)。

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写真はイメージです。わたしのではありません。

靴下は穴があくまで履くのが本当は一番いい。

靴下は親指の先端に穴があいてしまうことが圧倒的に多かったです。ただ、その程度では、まだ捨て時ではありません。繕(つくろ)えば良いわけですから。

それでもダメになって捨てた基準は、足の裏、特にカカトの生地が擦れて薄くなり、ついに大穴があいた時でした。

わたしは、ここまでくれば、納得して捨てることができます。

やっぱりわたしは、「靴下は擦り切れて穴があくまで履く」というのが、自分にとって一番心地よい、納得できる捨て時だと思います。

靴下もここまで使ってもらえれば、本望(ほんもう)なのではないでしょうか?

靴下は衣類とは言っても、洋服と違って消耗品です。というのは、リサイクルショップや寄付などでも、洋服はひきとってくれますが、使用した靴下はひきとってくれないからです。

衛生上の問題があるからです。ですから、人にあげるのもやめた方がいいものです。人にあげたり、リサイクルするなら、未使用品に限ります。

リサイクル不可だから消耗品。一旦履きはじめたら、自分で捨てる以外、手放す道はありません。だからこそ、納得できるところまで使い倒したいアイテムです。

全捨離で、靴下を月一で買い替えるのは疑問。

最近、「全捨離」というのを知り、面白くて、しばらくハマっていました。全捨離では、靴下は月一で買い替えるのが良いそうです。

全捨離について、詳しくはこちらの記事を参考にしてください。↓

【収納の断捨離】ダンボール箱を捨てるのは運気アップにおすすめ!-プチ全捨離の実践1

全捨離は、「運を良くする」というところを目的にしています。「新しさにこだわって」靴下(と下着)は、月一で買い替えるのが良いそうです。

わたしは、これにチャレンジしてみようかと思いました。でも、今はやめました。

「もったいないをとるか、運気をとるか」と全捨離では言われています。わたしは、両方取ろうと思っています。

靴下を月一で買い替えないからといって、運気が下がるとは思えないからです。それに、今、わたし自身は、自分の運がそれほど悪いとは思っていないのです。

むしろ、運は良い方だと思っています。

また、靴下を月一で買い替えるということは、月一で靴下を買うという家事を増やすことで、そんな時間があったら、もっと別のことをしたいと思いますね。

月一で衣類の買い物をしなければならないのって、何か、やたらに忙しくないですか? まだ使えるものを頻繁(ひんぱん)に捨てるということも、抵抗があります。お金ももったいないです。

運が良くなるということの定義が「仕事がたくさんきて、お金がたくさん入ってくる」ということだとしたら、靴下を毎月とりかえるくらいのお金が入ってくるのかも知れません。

でも、それにしても、わたしは、仕事は忙しくなりすぎず、靴下を毎月買いに行くことにお金や時間もかけず、のんびり暮らす方が良いなと今は感じます。

わたしにとって運が良いというのは、むしろ、のんびり暮らすことの方です。

全捨離は、今失業していて仕事が欲しいとか、一人だからパートナーが欲しいとか、現状を大きく変えたい時にやると良いのかも知れませんね。

現状に満足していれば、やる必要はないと思えます。

靴下を穴があくまで履くための条件。

ところで、「靴下の生地が擦れて薄くなり、ついに大穴があいた時」を捨てることができるようになるためには、幾つか条件があります。

1. 毛玉ができにくい素材であること。

2. 人目(ひとめ)を気にしなくて良いライフスタイルであること。または、人目を気にしないこと。

3. 靴下を数多く持ち過ぎていないこと。

詳しく書きたいところですが、長くなりそうなので、また別の記事で書きます。

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おわりに

靴下は、穴があいて、使いものにならなくなるまで履いてあげたい、というのが、わたし自身の本音です。

そこまできたら、雑巾にして快く捨てられるでしょう。

そこまでこないものについて「捨てようかどうしようか」と、思い悩むのです。

綿の靴下を2、3足だけ持ち、穴があいたら繕(つくろ)いながら使っていた子供時代、靴下について悩んだことは一度もなかったのです。