晴れやかブログ

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ネガティブな感情を認めた結果、母への恨みを手放し、感謝の気持ちが湧いた話。

ネガティブ感情を認めた結果、母への恨みを手放し、感謝の気持ちが湧いた話を書きます。

毒親育ちのわたしは、インナーチャイルド瞑想(ワーク)というのをやって、子供の頃の癒されない感情に向き合うという作業をしてきました。

それで先日、思春期の、とても傷ついたインナーチャイルドに出会い、その結果、母への恨みを手放し、母に感謝の気持ちが湧いたのです。

母に感謝の気持ちが湧くなんて、初めてのことです。親のことなんて恨んだままで良かったはずなのですが、インナーチャイルドワークの結果、母に感謝することになったのです。

 

思春期のインナーチャイルドワーク。

思春期のインナーチャイルドは、12歳から20歳くらいという設定でやりました。だいたい、中学生、高校生から大人になるまでです。

インナーチャイルドは、生まれたての時、乳児期、小学校に入る前、小学生、などと子供時代を区分けしてやるので、それぞれの時期の小さな自分がいます。

思春期のインナーチャイルドは、最後に、過去の小さな自分自身を連れて親と過ごした家を出ます。

それで、これからは自分で自分のことをやっていく、という自立をするのです。

瞑想を通して行いましたが、やはりいくら毒親とはいえ、両親の元から去るのはとても寂しかったです。

また、それとは別に、中学生の時の自分のことを思って、中学生のインナーチャイルドがとても傷ついていたのだとわかりました。

傷ついていた中学生のインナーチャイルド。

一体どうしてそんなに傷ついていたのかと言いますと、小学校の高学年から第二次性徴が始まって何年もたつのに、ブラジャーがなくて困っていたからです。

多分わたしは、Tシャツなどを通して、他人の好奇な目にさらされていました。

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わたしの第二次性徴は小学4年生の頃、すでに始まっていましたが、母に相談できませんでした。

母は忙し過ぎたし、話を聞いてくれるような人には思えなかったのです。

友達が、お母さんに脇毛を剃ってもらったなどと話すのを聞いて、「ウチではありえない!」とビックリしました。

そしてわたしは、第二次性徴は、戸惑い過ぎて、自分でも「ないことにして」過ごしてしまったのです。

ブラジャーもなく、ムダ毛は伸びたままです。からかわれることもありましたが、感情は得意の「フリーズ」状態でした。

母への恨みの多くはここからきていました。「どうして気づいてくれなかったのか!?」という気持ちです。

そして、母のことを「立派に仕事はしたかも知れないが、女性としてイマイチ。」とか思っていました。

また、「お母さんが家にいなくて寂しい」という気持ちも、「言ってはいけない」不文律として、心の中に封印していたのです。

「寂しさ」を解放したことについては、以下の記事に書きましたが、それまでは、寂しいなんて思ってもいなかったのです。↓

寂しい気持ちに気づいてからわかった3つのこととは?(心の断捨離)。 - 晴れやかブログ

ちょっと話がそれてしまいましたが、話を元に戻します。

小学校高学年から放置し続けた第二次性徴でしたが、ついに中学生の時、限界が訪れたのです。

普段の制服はセーラー服だから良かったのですが、問題は体育の時間でした。

とある初夏の体育の時間、制服のTシャツとブルマーという姿になりました。それで、「そらちゃん、胸、わかるよ。」って、親切な女子が教えてくれました。

それでやっと何とかしなければと思いました。

母に話したのか、たまたま母の方から言ってくれたのかは覚えていませんが、母はわたしにブラジャーを買おうというつもりになったようです。

祖母vs母とブラジャー。

ところで、実家では、母方の祖母が同居していました。母にとっての母です。

それで、わたしのブラジャーを買うことについて、祖母と母が言い争いになりました。

「そんないやらしいもの買う必要はない!」と言う祖母。明治生まれの着物文化の祖母にとって、ブラジャーは「いやらしいもの」だったようです。

それに対して母は、

「おばあちゃん、今はブラジャーはした方がいいんだよ。」と応戦していました。

わたしは隣の部屋で母と祖母の争いを聞いていて、母を心の中で応援したのを覚えています。

ついに母が勝ち、週末、母と一緒にブラジャーを買いに行くことになりました。

母への感謝。

わたしは、思春期のインナーチャイルドワークを通して、多感な時期の自分がどれほど傷ついて恥ずかしい思いをしていたのかということを思い、自分自身をいたわって泣きました。

でも、それよりも、その後、母がどれほどわたしの為に頑張ってくれたのかと思うと、感謝の涙が出てきたのです。

母もまた、祖母という毒親に育てられたインナーチャイルドで、大人になってブラジャーが欲しいと思っても買えなかったのだと思います。

子供の頃、母のブラジャーというのが記憶にないのです。母は自分ではブラジャーを持っていなかったのかも知れません。

それなのに、娘のために、祖母と戦ってくれたのです。

母と一緒にブラジャーを買いに行った時、何故か母がとても楽しそうでした。母は自分でもブラジャーが欲しかったのに違いありません。

後で振り返ると、最終的に母はブラジャーを持っていましたから、わたしのことがきっかけで母自身もブラジャーを買うようになったのかも知れません。

わたしは、祖母と戦って、頑張ってわたしにブラジャーを買ってくれた母が大好きになりました。

そして、母に対する恨みは溶けて消えていきました。

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おわりに

今日は、「ネガティブな感情を認めた結果、母への恨みを手放し、感謝の気持ちが湧いた話」というタイトルで書きました。

長年、第二次性徴を無視した結果、心が傷ついたり、女性性が育たなかったという弊害が出てきます。これに関してはまた別の機会に書きたいと思います。

でも、母のことを、仕事や活動に忙し過ぎて、子供に寂しい思いをさせた厳格な毒親で、恨んだり怒ってばかりいましたが、ブラジャーを買ってくれたことを思うと、母の本当の姿に出会った気がして、感謝の涙があふれてくるのです。

そしてわたしはたくさん泣きました。実は今もまたこの記事を書きながら泣いてしまいます。

母の葬式では全然泣けなかったというのに。

そして泣くたびにどんどん心が明るく軽くなっていきます。